「憲法は憲法であって政治とは違う」とは義務教育で日本国民としで何を学んだのか。

 夕刻の報道番組を視ていたら、ご年配の自民党議員の支持者が自民党国会議員に向かって「憲法は憲法であって、政治とは違う」と妙な発言をしていた。見るからに彼は戦後団塊の世代と思われる齢格好だったが、義務教育期間で日本国民として一体何を学んだのだろうか。
 政治家は憲法遵守の義務が課されている、というのは常識だ。政治家の「解釈」が憲法規定を超えるというのは安倍自公政権の憲法違反に過ぎない。立憲主義の否定を堂々と国会で行い、それを多数の憲法無視の国会議員たちに守られて「戦争法」を強引に一国会で成立させてしまった。憲法改正なくして政権が憲法違反を行うのをクーデターという。安倍自公政権は無血クーデターを現代日本で行った最悪の政権だ。

 そうした認識も持たず、一人前の口を利く連中が多いからといって、それがこの国の正義となるようでは戦前の社会と何処が異なるというのだろうか。政治権力に阿るマスメディアが国民世論を誘導して、憲法を蔑にしていくのはヒトラーの独裁政治と何処が異なるというのだろうか。
 私も「集団的自衛権」は世界の常識だと思う。しかしこの国の憲法が否定しているのであれば「悪法も法なり」で国民は日本国憲法に従うべきだ。夫が浮気性だから妻も勝手に不倫しても良い、という理屈が成立しないのと同じだ。婚姻生活が破綻しているのならまずは離婚してから、新しい男性と付き合うべきだ。憲法が現実と遊離しているのなら、まずは改正してから新法を国会に提出すべきだ。そうした手順を踏むのが立憲主義のありようだ。

 いい年をした老人が分別もなく「この国に迫る危機」と仮想敵国を決めてかかるのは単細胞の戦争ごっこに興じる子供と何ら変わらない。日本は防衛戦力中心といえども世界で有数の軍事大国だ。年間5兆円も軍事予算を組む国家は世界にそうない。その日本が世界随一の軍事大国・米国と組むのは仮想敵国とされた国にとって「身に迫る脅威」以外の何物でもないだろう。相手の立場に立って考える必要がある、というのは大人の分別だ。仮想敵国と模されている中共政府の中国は周辺諸国に軍事的プレゼンスを高めているのみならず、南シナ海に軍事基地を構築している。

 岩礁を埋め立てて構築した基地は確かに脅威だが、米国や日本が煽るほど軍事的に大きな意義はない。なぜなら埋め立てた基地は空母のように動かない。それは前世紀の遺物となった戦術的施設で、いつでも無人攻撃機で攻撃可能な代物だ。
 中国は電子機器の水準が勝負を決める現代戦では日本の敵ではない。今後とも暫くの間は日本の敵になり得ない。尖閣諸島を占領したらどうするのか、と批判する戦争オタクがいるが、日本が輸出入貿易停止を含めた経済封鎖をすれば中国政府は一月と経たずして音をあげざるを得ない。米国が安保条約を発動して中共政府の中国を「敵国認定」すれば中国の持つ米国債をすべて「無効」にできる。つまり中国が保有する米国債は一瞬にして紙くずとなり、米国債を裏付けとして発行されている「元」通貨も大暴落する。そうした危険を習近平が犯すとは思えない。

 安倍自公政権の主張する「日本に迫る危機」は日本周辺には存在しない。ただ米軍に迫る危機は中東に存在する。米国が2000年前後から仕掛けたエジプトの春やアラブの春、といったCIAの策動はすべて失敗に帰し、地中海に面したアフリカから中東にかけてシッチャンメッチャカになっている。猫の手も借りたいほど米軍は多忙を極めている。
 そこに自衛隊を派遣したいのが安倍自公政権とその仲間たちの思惑だが、それはつまり自衛隊を米軍の二軍に売り渡す売国奴そのものの行為でしかない。それも日本国憲法違反を犯して実行する、という二重の意味での売国奴だ。安倍アゲに忙しいネトウヨ諸君も、その片棒を担いでいることを認識すべきだ。そしてもう一度「日本国憲法」を初心に帰って読み返そう。


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