世界平和をもたらすのは武力行使ではない。

 世界平和をもたらすのは武力行使ではない。当たり前のこととして、日本国民ならだれもが知っているし、理解しているはずだ。その概念の頂点にあるのが日本国憲法だ。
 米国大統領は就任にあたって宣誓を行う。その際、片手を天に向け、片手を聖書の上に置く。天に向けた片手は無私の精神で国家・国民に尽くすこと、聖書の上に置いた片手は「神の御心」を遵守して職責を果たすことを誓う形を示している。

 さて日本はどうだろうか。国会で衆議院議長から首班指名を受けると、自席で立ち上がって議場へ向かって一礼するだけだ。総理大臣の憲法遵守の規定は憲法に書かれているが、それに対して総理大臣就任にあたって「宣誓」を行う式は何もない。その夜に皇居へ赴いて天皇陛下から信任状を戴くことになるが。
 国会議員も当然憲法遵守の義務を負うが、選挙で当選して晴れて国会議員になっても憲法遵守「宣誓」の場はどこにもない。ただ選管から「当選証書」を頂戴して、登院した時に議員バッジを頂戴するだけだ。当選証書の交付にしても、国会議員の場合は代理人が選管へ赴くのが殆どである。

 身分が憲法により定められ、憲法に基づいた権利を行使するにあたって、一度も憲法に宣誓を行わない国会議員とは一体なんだろうか。彼らにとって大事なのは憲法でもなく、支持を得た国民でもなく、議員そのものの地位である、という誤った概念に陥ったとしても、あながち彼らだけの責任でもないかも知れない。国会議員になって、そうした「儀式」を一度も通過しないで、国会議員こそが国権最高機関の構成員だという「晴れがましい」立場を選挙当選により手にしたという栄誉に頭がクラクラとして、世間のすべてが自分を中心に動くという天動説が突如として彼らの観念の中心に位置してしまったかのようだ。

「戦争法案」を審議する参議院委員会のやり取りを聞いていて、ふとそうした感想を持った。全員とはいわないが、国会議員が「集団催眠術にかかっている」と危機感を覚えた。
 枝葉末節のような「解釈改憲」をしたのは法律の安定性に悖る、という指摘と、それに対して「去年の七月一日に閣議決定して解釈を変えたのであって、それは日本を取り巻く国際情勢の大きな変化に基づく」と安倍氏が繰り返すという不毛な水掛け論を延々と行っていた。

 日本は「戦争法案」により何を行うのか。それは平和を達成するためだ、と安倍氏は繰り返し答弁する。そんなバカなことはない、ということは日本国民ならずとも世界人類は知っている。
 世界随一の軍事大国・米国がその持てる軍事力を行使して、世界各地で軍事介入して世界は平和に近づいているだろうか。米国民は平和を享受しているだろうか。米国とその仲間たちは平和な国家を築いているだろうか。

 武力介入は決して平和をもたらさない。日本国憲法に書かれている通りだ。武力による国際紛争は永遠に世界が放棄すべきだ。
 平和をもたらすのは教育だ。平和をもたらすのは貧困の撲滅からだ。平和をもたらすのは医療の普及だ。決して軍事力で反対する人たちを殺害すれば自と訪れるものではない。武力による制圧は新たな反対勢力を生むだけだ。そうしたことは先の大戦以後の数限りない国際紛争と米国の武力介入が失敗に帰していることからでも、充分に学習したはずではないだろうか。

 日本の国会議員はそうした簡明なことすら観念しないで、与党議員は「戦争法案」成立に向けて突き進んでいる。それに雷同する自民党補完政党がいて「戦争法案」の対案を示して審議する、と一見尤もらしい体裁を繕って「戦争法案」成立に手を貸そうとしている。
 国会は集団催眠に陥ったかのようだ。イスラム国は確かに謀略の限りを尽くす憎むべき「集団」だ。しかし彼らを武力で殲滅したところでイスラム国の萌芽のすべてを潰したことにはならない。狂気じみたイスラム国の指導者に従う兵士たちや彼らを支える多くの民衆は狂気じみた指導者を殺害したところで平和に目覚めるわけではない。

 平和をもたらすのは教育だ。飢えの恐怖から解き放つ貧困の撲滅だ。そして死の恐怖に惑わされない医療の充足だ。そうしたことに国際的に奉仕するのが平和国家・日本の使命ではないだろうか。米国と隊列を組んで武力行使する日本が国際平和をもたらすと、本気で国会議員の多数が考えているとしたら、彼らはこの国の教育で何を学んできたのだろうか。
 安倍氏が米国至上主義で、米国のポチであることは構わない。彼の選挙区の有権者の多くがそうした安倍氏の考え方に賛同し、共感を覚えているのだろう。だから八回も連続当選しているのだろう。しかし安倍氏は日本国憲法の規定により国会議員に当選し、国会議員として首班指名を受けていることを失念してはならない。

 そして多くの国会議員が安倍氏の米国至上主義に従うのも構わない。おそらく彼らは米国のポチに日本を貶めることが日本国民の最大幸福だと観念しているのだろう。しかし安倍氏の「集団催眠術」にかかる前に、彼らは日本国憲法の規定により国会議員となり、日本国憲法を遵守する義務を負うこととされていることを思い返すべきだ。
 米国基準の平和への道は平和を求めているのではなく、米国の国益を追求しているに過ぎない。それも米国民すべての「国益」ではなく、米国をハンドリングしている米国の1%の人たちの最大利益を追求しているに過ぎない。安倍自公政権は日本をそうした米国の1%に奉仕する国に日本をしようとしている。だから彼らが頭に描いている「平和への道」は米国基準の道だ。

 日本には日本基準の「平和への道」があるはずだ。国会議員の多くが安倍氏の提唱する「戦争法案」こそが日本の採るべき道だ、という集団催眠術にかかっているとしたら、国民が大衆運動を起こして「日本基準の平和への道」があることを高らかに訴えるべきだ。
 バカだチョンだと安倍氏を批判するのではなく、安倍氏一人が狂気に憑りつかれているとしても、他の大勢の国会議員が罹っている「安倍氏の集団催眠術」から目覚めるように、「あなたたちは誤っている。戦争法案に賛成するなら次の選挙では支持しない」と決意表明すれば良い。それが集団催眠もしくは視野狭窄賞に陥っている多くの国会議員諸氏には最も利く処方箋のはずだ。


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