国連への幻想を捨てよう。

<国連は27日、潘基文事務総長が9月2~6日に訪中すると発表した。
 習近平国家主席と会談するほか、3日に北京で開かれる抗日戦争勝利70年記念式典に出席する。報道官によれば、3日に行われる軍事パレードにも参列する>(以上「時事通信社」より引用)

 プロパガンダ用の捏造した歴史ではなく、史実に基づいた歴史を学んだ者なら中共の中国が「戦勝国」でないことを知っている。1945年当時に中国を代表していたのは国民党政府だった。今の台湾政府だ。
 その国民党政府を内戦により台湾に追放して1949年に中国に覇権を立てたのが中共政府だ。だから中共政府の習近平主席が「戦勝70周年」記念行事を行うのは史実として正しくない。国民党も中国にいて、共産党と政権が交代する形であれば戦勝70周年を祝ってもおかしくないが。

 そうした史実を無視したプロパガンダ国家行事にどれほどの価値があるというのだろうか。中国民がそうした簡明な史実すら知らないで、中共政府主催の行事として「戦勝70周年」を祝うとすれば歴史的な目的ではなく、政治的な目的に動員されていると考えるべきだ。
 国連の事務総長がまさかそうした歴史を知らないはずはない。知っていて政治的プロパガンダ行事に参加するというのは「敗戦国」への配慮を欠く非礼なことだと考えていないことになる。いや、国連そのものが国連の中枢機関「安保理」に永遠の「常任理事国」制度を設けて、擾乱理事国とされる五ヵ国に特別な権利を付与していること自体が「戦勝国クラブ」ごっこをしているマヤカシの機関でしかない。

 国連はいわば常任理事国の利害調整機関でしかない。だから彼らだけが核兵器を有して世界の利権を分け取りしている状態を固定していたいのだ。核拡散が世界の平和を脅かすのではなく、核保有国が存在することが世界の平和を脅かしているのは自明の理ではないだろうか。
 現に、中共の中国は日本に照準を合わせた核ミサイルを全土に配備しているではないか。そうした国に世界平和を議論する「安保理の常任理事国」たる資格があるのだろうか。

 国連事務総長なら世界平和のために働くべきだ。なぜなら国連は擾乱理事国の分担金だけで運営されているわけではないからだ。加入しているすべての国に分担金を負担させて、そして主要な「安保理」では常任理事国の僕に貶められている。これが世界に唯一の国際的な機関だというのでは、世界の人類は「平等」の精神や「互譲」の精神とは程遠い存在だと観念するしかない。
 国連が硬直的な「常任理事国」制度を維持している限り、国連に対する幻想を日本国民は捨てるべきだ。国連とは常任理事国の利害関係の調整機関でしかなく、世界平和を希求するなどといった高尚な機関ではない、という現実を見るべきだ。その最たるものが中共政府の「反日」プロパガンダ国家行事に事務総長が出席するという愚かしさに表れている。

 日本は「国連」ではなく、世界のすべての国が平等な権利を有する平和を希求する機関を新たに創生すべく提唱すべきだ。「戦勝国」だ「敗戦国」だといった、自分たちが戦ってもいない歴史に無駄な誇りを持ったり、戦後支配体制をいつまでも維持するための装置として存続する機関に「平和」の幻想を持つのをやめよう。
 日本とドイツにだけ「敗戦」の弁を永遠に述べさせる「戦勝国」意識をいつまで尊重すべきなのか。いい加減にして頂きたい、我々は戦後に生まれ、戦争に対して父や祖父たちは充分に責任を取って来たではないか。それをいつまでも「謝罪」しろというのは先の大戦を今も生かし続けなければ、歴史のかなたに忘却しては常任理事国として居座り続ける理由が消滅してしまうからに他ならない。だから、彼らは彼らがしてきた、現に今もしている他国民族に対する「侵略」や「抑圧」に対して反省も謝罪も一切しないのだ。

 そうした常任理事国の有り様だけで、国連は世界平和を希求する団体でないことは明白だ。戦勝国クラブに過ぎない国連に過大な幻想を抱いてはならない。日本は自ら世界人類に平等な世界平和を希求する機関の創設を提唱すべきだ。


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