この国は「戦争法案」どころではないだろう。

 2020年が東京オリンピックだと官僚や政治家やマスメディアは燥いでいるが、1964年の東京オリンピック当時と現今の日本を比較した場合、この国の底力がいかに低下したかが分かるはずだ。新幹線は1964年の開業を目指して東京大阪間が開業したのは記憶にあるし、首都高が開業したのも東京オリンピックを目指してのことだった。
 ということはそれらが完成してから半世紀以上経過して、既に耐用年数を超えているということだ。それが現実問題として各所の老朽化に現れている。そうしたインフラのみではない。

 企業は終身雇用制で技術や改善が後継者に受け継がれ、日本の工業力は日の出の勢いで世界に雄飛しようとしていた。当時の新卒者は「金の卵」と呼ばれ、安定的な大企業の製造業へ団体で就職していた。
 それが好循環となって、昭和40年代の高度経済成長を実現した。しかし国立競技場はオリンピックのために新規に建設したのではなかった。それまであった施設を改造してオリンピックのメイン会場にした。今回の社会インフラの老朽化を放置したまま、新国立競技場だけをロンドンオリンピックの競技場の二倍以上の金額をかけて造ろうとしている。

 首都高は安全なのか。ゴマンと建設された全国の国道の隧道や橋梁は安全なのか。そもそも道路は陥没チェックが完璧に行われているのか。そして埋設されている基本的なインフラの上・下水道管は耐用年数の過ぎた者は順次更新されているのか。
 いつまでも○公単価を続ける愚策を改めて、希望者はすべて平等に入札できる制度に変えてはどうだろうか。一定以上に安く落札させれば、手抜きされたり工事が中断したりする危険性が高い、という官僚たちの屁理屈を政治家たちはいつまで鵜呑みにしているのだろうか。

 日本の五指に入るゼネコンにどれほどの高級官僚が天下って、官庁関係営業部署の役職に居座って、出身官庁の後輩相手に工事を寄越せと大口を叩くのを許すのだろうか。それは防衛省も同じことだ。
 馬鹿げた慣行により、日本の公共事業はバカ高いものになっている。政治家たちはマトモな常識を取り戻して、工事費単価を民間工事費単価と比較する作業をぜひやって頂きたい。

 そして単純に考えて、空調のない新国立競技場で八月の東京でオリンピック競技を実行するのも狂気の沙汰だが、それを見物する観衆も命懸ではないか。そうした欠陥競技場の建設に1550億円を上限とするとは、この国は財政再建を真剣にやる気があるのか、と疑わざるを得ない。
 折しも、テレビに「住民税を納付していない人には6000円を給付する」という広報宣伝が流れていた。何とも馬鹿げた話だ。生活困窮者一人に6000円を配るのに、一人当たりいかほどの予算を組んでいるのだろうか。そしてそのための予算総額は一体幾らになるというのだろうか。経費対効果を政治家たちは少しは電卓を弾いて計算してはどうだろうか。


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