テクノロジーは人類の存在を脅かすものであってはならない。

<英紙ガーディアン(電子版)は14日、米アップルが自動運転車を開発し、試験場を探していると報じた。入手した文書で分かったとしている。アップルはこれまでに電気自動車を開発しているとも報じられており、事業多角化を目指しているとみられる。
 同紙によると、アップルは米サンフランシスコ近郊にある米海軍の基地跡を試験場として有力視している。この基地跡は部外者の立ち入りが禁じられており、秘密の実験に向いている。
 基地跡には道路や交差点があり、ホンダやダイムラー(ドイツ)はここで自動運転車の実験を始めた。アップルの自動運転車は、ほぼ路上試験ができる段階にあるという。(共同)>(以上「毎日新聞」より引用)

 自動運転車の開発にアップル社が積極的に参入しているのは歓迎すべきことだ。日本だけでも年間7千人以上も自動車事故死し、中国では年間10万人も自動車事故死している。もしもそれが新幹線事故や飛行機事故で死亡する犠牲者数なら、政府や関係機関は黙っていないだろう。
 しかし個別的、個人的な事故とみなして自動車事故は自動車そのものの変革を求められることなく放置されてきた。それが洗濯機やテレビを利用している人の犠牲者数だとしたら、理解が早いかも知れない。つまり開発されたテクノロジーを利用することにより夥しい数の人が犠牲者になっているのだから、通常なら世界各国で利用者が集団してPL法に基づく巨大訴訟を提訴していてもおかしくない。

 しかし自動車製造企業がPL法に基づいて提訴されたとは寡聞にして知らない。それが世界の常識だということなのだろうが、おそらく未来の人類はこれまでの百数十年間を「狂気の暴走時代」として評すだろう。決して毎年夥しい数の人たちが自動車の利用により死傷するのは「正常な事態」ではない。
 人類が自らの足で駆けるよりも数倍も早く移動できる道具を手にして自由度の高い操縦を楽しむのと引き換えに、自分と他人の命を懸けるのは異常なことだ。未来の世界では「自らの運転を楽しむ」のは決められたサーキット場だけのことになるだろう。普通は行き先をインプットしてスタートボタンを押しさえすれば安全にして自動的に目的地へ運んでくれる「移動手段」になるだろう。本来のテクノロジーとはそうあるべきだ。

 それは原発に関する考え方にも大きく影響するに違いない。「安全」という言葉に惑わされて多くの生命体が棲息する地球上で容器内に隔離されているとはいえ核融合反応を起こして熱源とするなどという「狂気の沙汰」を人工的に行うことが先進的なテクノロジーだとするのは誤りだ。
 何でもかんでも発明や発見したことを使えば良い、という考え方は正しくない。テクノロジーの経済性や効果を評価する以前に「そのテクノロジーが地球の他の棲息する生命に対して迷惑を掛けないか」という思想がまず存在しなければならない。核融合反応を人類は手にしたから、それを使って発電することもできる、と考えるのは人類の独善的な発想に他ならない。

 今を生きる人類は未来に対して責任が負えるのか、という全地球に対する専任と同時に時間軸に対する責任も考慮しなければならない。今を生きる人類が地球を滅茶苦茶にして未来の人類に引き渡せるというのだろうか。
 石油利権だ豊かな生活だと「便益」を追い求めて、究極の願望実現手段として他人を殺害する戦争と呼ぶ「大量殺人行為」を行って恥じない指導者とはいったい何者だろうか。戦争をも辞さず、と国民大衆に思い込ませて国民を戦地へ送る政府や指導者は本当に国民の生活を考えているといえるのだろうか。

 ヒトラーに対するチェンバレンの譲歩はかえって大戦争を誘発したが、それ以前にドイツ国民の冷静な行動はなぜ出来なかったのかを考えなければならない。日本も軍部が暴走する以前に、一体何が大正デモクラシーを国内から一掃してしまったのかを、十分に検証しなければならない。
 そして人類は余りに過ぎる富や物的欲望と手を切るべきだろう。普通に暮らして生涯で使いきれないほどのカネは果たして必要なのか、普段の暮らしで使わない部屋を所有することは果たして必要なのか。人類は欲望を抑える術を獲得すべきではないだろうか。

 プロスポーツや芸能で傑出した人が巨万の富を手にしても、人より抜きん出た幸福まで手にすることはできない。企業経営者が社員一万人分の年俸を手にしたとしても、社員一万人分の幸福を手にすることはできない。
 自由に高速移動する道具を操っていて、意に反して命を失ったとしたら、意に反して他人の命を奪ったとしたら、そのテクノロジーは果たして人類にとって必要だったといえるのだろうか。

 自動車に対して自動安全装置が次々作られるようになってきたのは歓迎すべきことだ。テクノロジーが創造主の命を奪い危険にさらすことは本来のあり方でないはずだ。人類は長年かけて獲得してきた叡智という財産を生活に生かすべきだ。人類が創造した制度や道具が人類の生命を脅かしたり地球に棲息する他の生命を危険にさらすことは人類の叡智を生かしていないと批判すべきではないだろうか。


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