「戦争法案」を廃案にせよ。

 安保法案審議中継の模様を聴した。何とも不毛な質疑だとの印象が強く残った。
 私が聴した時には枝野氏が「ホルムズ海峡」の機雷掃海を様々な事態を想定して質問していた。敵により機雷が撒かれつつある時でも掃海するのか、近くで戦闘が行われていても掃海するのか、等々の質問に対して政府側はまた解り難い回答を繰り返していた。

 そうしたホルムズ海峡の機雷掃海に「集団的自衛権」が必要なのだろうか。前回と同様に特措法で対応して何が問題なのだろうか。
 そもそもホルムズ海峡の機雷封鎖が日本にとって緊急・危機的状況なのだろうか。それに対して「国際紛争の解決に武力を用いることを放棄する」と定める日本国憲法を無視して、武力行使を容認する「解釈」改憲が必要なのだろうか。政府が想定している事態はホルムズ海峡の機雷掃海ではなく、南シナ海で中国海軍との衝突ではないのか。あるいは北朝鮮と南朝鮮との戦闘に日本が南朝鮮の支援に出動することではないのか、と思わざるを得ない。それなら安倍自公隷米政権が「解釈改憲」を急ぐ理由が理解できる。

 近い将来、米軍はグアム・ハワイラインまで退くことを予定している。その場合極東の軍事バランスを保つために自衛隊を米軍の代わりに利用しようとしていると考えて何ら不思議ではない。しかし、それは日本国憲法に反する。
 中国が南シナ海に進出して岩礁を埋め立てて軍事基地を建設しているのは事実だ。公海の安全航行を定めた国際法に反する由々しき事態だ。しかし、それこそ国連の「安保理常任理事国」として国連で解決すべき話ではないだろうか。その程度の解決すらできない「安保理擾乱理事国」なら、国連の存在そのものが問われるだろう。

 そもそも「安保理常任理事国」だなどといったふざけた存在を世界が認めていること自体が前世期的発想ではないだろうか。つまり20世紀は戦争の時代だった。帝国主義の行き着いた時代でもあった。そうした戦争で決着をつけるという人類の最悪の「業」が遺憾なく発揮された残念な世紀だった。
 その反省に立って「国連」が創設され、「安保理常任理事国」五ヵ国が大きな顔をして常任理事国として世界に君臨してきて、70年経った今も人類は戦争の桎梏から解き放たれないでいる。そんな国連が本当に必要なのだろうか。国連のあり方そのものが時代遅れの前世紀の遺物ではないだろうか。

 日本は前世紀の遺物たる国連に代わる世界秩序構築の協議機関の創設の先頭に立つべきではないだろうか。国際紛争の解決に武力を用いない、と定めた日本国憲法を世界のすべての国に輸出して、軍事力は「国連軍」のみが有する、と規定して、国連が軍事統帥権を占有する世界を目指すべきではないだろうか。
 指摘するまでもなく、現国会で審議している「戦争法案」は前世紀の遺物に過ぎない帝国主義史観だ。もちろん国家と国民を守るのはその国の国民だし、日本は周辺事態に怠りなく備えるべきだ。しかし南シナ海へ出掛けてドンパチする必要はないし、朝鮮半島の「民族自決」に日本が武力介入する必要もない。朝鮮半島の政治体制は朝鮮半島の民族が選択すれば良い。

 もちろん米国の「陣取りごっこ」の戦争に日本が付き合う必要はない。むしろ世界各地で戦争を仕掛ける米国を諌めるのが日本の立場であるべきだ。
 軍隊は軍事力という塊が存在するのではない。個々の兵器とそれを操作する人間が存在する。武力の行使は人間が行い、人間が命の奪い合いを演じることだ。そんな前世期的な行為を世界各地でいつでも可能ならしめる「戦争法案」を可決して米国に頭を撫でてもらいたい安倍自公政権なぞ糞喰らえだ。日本の政治家なら日本国民の命を最優先すべきだ、自衛隊も日本国民の一員であり、日本国民の命だ。それをあえて危険にさらす「戦争法案」なぞ廃案にすべきだ。


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