御用(読売)新聞に登場する御用(三浦瑠麗氏)学者の驚くべき論理。

 本日(7/21)付読売新聞朝刊4面の「語る」欄に、東大客員研究員の三浦氏が登場して安倍「戦争法案」大賛成の飛んでもない論理を展開している。さすがは主筆が安倍氏と個人的に親しく高級ホテルのレストランで会食をする親しい新聞社だけのことはある。
「戦争法案無に対する国民理解を助けるためにこうした記事を掲載するのはあながち反対ではない。しかし一方的な論理を展開して、対立する論理を同一紙面上に掲載していないのは如何なものだろうか。

 三浦氏は主張する「憲法改正を先にやるべきだというのは、筋として正しいと思うが、すぐには難しいという認識は強くある。その中で、安倍政権は、安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)の報告を参考にしながら抑制的な案を出し、さらに公明党が抑制をかけたと考えるべきだ」と。
 先に憲法を改正すべきが筋、と考えるのなら何が何でもそうすべきが立憲主義のあり方だ。三浦氏は憲法規定をいかにお考えなのか、パンツがずり落ちそうなほどユルユルの規範だと考えているとすれば、社会科学分野の研究員として失格というべきだ。
 しかも安倍政権が「安保法制懇」という任意の委員会の報告書を参考にして「戦争法案」を抑制的に作ったというのも、社会科学の学者として如何な見解というしかない。

 公明党が「さらに抑制をかけた」というべきと断定しているのも滑稽というしかない。それは法案提出前の「与党協議」の話で、コップの中の漣に過ぎない。そして最も笑ったのが最後の段落だ。「米国から南シナ海で警戒監視活動を共同で行うよう依頼された時、日本は直接関係ない紛争だと断れるのか。新たな台湾海峡危機が起きた場合、どう関わるかといった点だ。グレーゾーンでいえば中国にある日本のデパートや工場が中国の民衆に襲われ、中国の警察が守ってくれない場合どうするのかといった議論もすべきだ。これは国防の根幹だ」というのが三浦氏の「戦争法案」賛成の論理展開だ。

 こうした考え方こそが憲法で明確に否定した「国際紛争を武力で解決」しようとするものに他ならない。戦前の満州事変や上海事変はすべてこうした考え方の延長線上にあった。それらは当時の常識としては「自衛」のための戦争だったが、先の大戦で日本は現代国際社会の戦争に関する『常識』に背を向けて、新たな世界平和のための先鞭をつけるべく、日本国憲法を制定した。
 それが荒唐無稽だというのなら、立憲主義国たる日本は憲法規定に従って憲法を改正してから法律を改定すべきだ。中国内が騒乱に陥った場合の日本のデパートや工場をいかにして暴徒から守るか、といった議論は中国の国内統治主権にかかわる問題だ。帝国主義時代はそうした騒乱を策謀して、欧米列強はアジアやアフリカの諸地域を植民地化していったのだ。そうした鉄を再び日本が歩むのを了とするのか、三浦氏に問いたい。

 一体三浦氏は社会科学者・研究員として、いかなる訓練を積んだのだろうか。論理構築手法として絶対に外してはならない要点と、ある程度自由に移動させても良い規範とを明快に峻別する研究者としての叡智を、いかにして磨いてきたのだろうか。
 日本の自由の国だ。いかなる論理を主張しようと表現の自由を奪ってはならない。しかし憲法までも蔑にする自由は官僚や政治家にはない。政府機関でない「安保法制懇」がいかなる議論をしようが自由だが、それが一旦「戦争法案」として国会に提出されたなら違憲性を問われるのは当たり前だ。そうした議論すら三浦氏の脳裏にはないようだ。若い研究者が権力におもねては先が知れている。研究員としては残念だが、人として御用のお先棒を担ぐ恥を最低限知るべきだろう。


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