私たちは「狂気」の現代史の証言者だ。

 私たちは「いま」を生きる人間として、「いま」に声を上げ、声を上げた理由をネットに刻まなければならない。
 現代が日本にとっていかなる時代だったのか。現代が世界にとっていかなる時代だったのか。それらが時系列を伴って科学されるときに日本史となり、世界史となる。私たちこそが「いま」の時代の証言者たちだ。

 日本は大きな曲がり角に差し掛かっている。再び戦禍を日本国民は甘受するのか、それとも「戦争」の人類史を卒業する契機を、日本は世界人類に示すのか。
 人間は実に好戦的な生物である。普通の肉食動物ですら、他者の命は自分の存在を脅かす時と、生存していくための最低限の「食糧」として殺戮することしかしない。人間のように人間を殺害するのは「食糧」としてではなく、もちろん生存するために必要な最低限の行為でもない。

 人間は際限ない物欲のために他者や他民族を殺戮し支配し虐げる。そうした愚行を「国家」として行うとき「戦争」という呼び名で表現する。ただスイスという国は「永世中立国」として「戦争」による国際的な紛争解決策を早くから放棄している。
 狂気じみたナチス・ドイツですら、スイスに侵攻していない。それはスイスが皆兵国家で、侵略して来る者に対しては徹底して戦う姿勢を絶えず示しているからだ。しかし東西冷戦のさなかですら、スイスは東西いずれの陣営にも属さなかった。それゆえ、スイスはすべての国から「中立国家」とみなされた。

 日本はスイスを手本とすべきだ。自ら好んで米国の旗の下に馳せ参じる愚行をやめるべきだ。戦前の日本は欧米諸国の帝国主義に習って「富国強兵」を国是として、国家と国民を守るために軍事大国となった。そして欧米列強の例に倣って中国に進出した。
 しかし軍事大国となっても、日本は他国への領土的野心を持つべきではなかった。それを最大の教訓としないで戦禍に仆れた多くの同胞に対して「いま」を生きる私たち日本国民は何と詫びるつもりだろうか。

 愚かな「戦争ごっこ」に日本を参加させるべきではない。米国やロシアや中国などの領土や資源の世界的な利権獲得「ごっこ」に日本国民は身を窶すべきではない。そうした国々の動きに対しては冷ややかな批判の目で見詰めていれば良い。
 そしてそれらの国々以外の世界諸国と連携して、世界平和を実現するように努力すべきだ。未来志向利日本のあり方とはそうした国家になることだ。決して米国の乾分となって米国の戦争に参加することではない。「戦争法案」は間違った方向へ日本を落とし込む愚策だ。

 国連を国際機関とした世界がいつまでも続くと考えてはならない。米国やロシアや中国の「覇権至上主義国家」がいつまでも覇権を保持し続けると考えてはならない。国家にも栄枯盛衰は必ずある。
 石油資源に基礎を置いた世界利権の獲得競争は必ず終焉を迎える。それは石油が枯渇するからではない。原子力が世界のエネルギーを解決するからでもない。再生エネルギーで人類が必要とするエネルギーを確保できる科学技術を人類が手に入れるからだ。近い将来、石油利権の囲い込みと石油エネルギーによる覇権主義は過去のものとなるだろう。

 他者を殺戮することで自己の存在意義を確認するすべての国家や集団を日本は認めず、自らも他者を「自衛」以外で殺戮する「戦争」は行わないとする現行憲法を堅持すべきだ。安倍自公政権による「解釈改憲」を認めず、次の選挙で安倍自公政権を打倒して安倍自公政権が仕出かした「解釈改憲」の閣議決定の無効を国会決議すべきだ。
 日本が国家の名により国民を海外の戦地へと赴かせることが二度とあってはならない。自衛隊の活動範囲は周辺事態だけに厳しく限定すべきだ。そして米軍にはできるだけ早く国内の基地からお引き取り願う。日本はいかなる覇権国家の手先にもならず、いかなる他国をも日本の手先にしない。

 手本とすべきはスイスだ。日本は世界覇権主義国家による阿修羅の「戦争ごっこ」に与しない。国連といえども「常任理事国」と他の国々との不平等が存在する限り、一定の距離を置くべきだ。国連そのものが覇権主義国家の利権調整機関に過ぎないからだ。米国の「正義」が世界の「正義」のスタンダードではない。米国の「正義」は米国だけの「正義」に他ならない。


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