憲法を畏れ敬うことが「立憲主義」の根幹だ。

<日本国憲法に関するシンポジウム「立憲主義の危機」が6日、東京都文京区の東京大学で開かれ、佐藤幸治・京大名誉教授の基調講演や憲法学者らによるパネルディスカッションが行われた。出席した3人の憲法学者全員が審議中の安全保障関連法案を「憲法違反」と断じた4日の衆院憲法審査会への出席を、自民党などは当初、佐藤氏に要請したが、断られており、その発言が注目されていた。

 基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどうなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で「いつまで日本はそんなことをぐだぐだ言い続けるんですか」と強い調子で、日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した。

 戦後作られた日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の押し付けとも言われる。しかし、佐藤氏は「日本の政府・国民がなぜ、軍国主義にかくも簡単にからめとられたかを考えれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作っていたはずだ」と述べた。

 佐藤氏は、神権的観念と立憲主義の両要素を含んでいた明治憲法下の日本が、憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説」の否定を契機に「奈落への疾走を加速させ」、太平洋戦争に突入していった歴史を説明。終戦の日の1945年8月15日は、明治憲法下の日本が、大正デモクラシーのような一定の成果を上げながら、どうしてひたすら戦争に突き進んでいったかについて、根本的な反省を加え、日本のかたちの抜本的な再構築に取り組むスタートとなるべき日だったと指摘した。また、アジアの人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたことも踏まえ「悔恨と鎮魂」を伴う作業が必要だったと話した。

 第二次世界大戦後、各国では、大戦の悲劇を踏まえ、軍国主義を防げなかった憲法の意義をとらえ直す動きが起こったという。佐藤氏はその結果、(1)憲法制定権力として国民が、統治権力による権力の乱用を防ぐ仕組みを作る(2)基本的人権の保障を徹底する(3)「戦争は立憲主義の最大の敵」という考えから、平和国家への志向を憲法に明記する−−などの原則が強調されることになり、日本国憲法にはその特質がよく表れているとした>(以上「毎日新聞」より引用)


 長々と毎日新聞の記事を引用させてもらった。当初自民党が憲法審査会で自民党推薦で招聘しようとしていた人物がどのような見識を述べるのか興味深いものがあった。しかし上記記事を一読した限りでも、他の憲法学者と同様に「立憲主義」の堅持こそが国家と国民にとって必要だという要旨は変わらなかった。
 その場合の憲法とはまさしく字面に拘泥した「憲法条文」であり、勝手な「解釈改憲」は憲法を蔑にする行為だと批判している。なぜ立憲主義を否定する「解釈改憲」するくらいなら、憲法改正を自公政権は発議しないのか、という基本的な批判はまさしくその通りだ。「解釈改憲」してできる「戦争法案」はいつまで経っても政治家が勝手に憲法を変質させたものに過ぎないという批判は決して消えないだろう。その「違憲」立法に従って後方支援であれ、命を危険にさらす行為へ従事するために日本から遠く離れた戦地へ赴く自衛隊員を憲法違反の行為で命を危険にさらすことに忸怩たる思いを抱かせることだろう。

 朝鮮半島有事に際して、日本国民は日本の危機と捉えることが出来るだろうか。韓国の領海と領空と土地へ武装した自衛隊員を派遣して韓国民は拒否しないだろうか。彼らは教育で「日本と協力すべき」とは教えられていない。歴史を捏造した「反日教育」を強制され、日本と日本国民に対する反感を常に抱くように教え込まれている。
 そうした韓国民の軍隊と協力して自衛隊が共同作戦をとれるだろうか。基本的に朝鮮半島のことは半島の住民が決めることだ。日本が関わって良いことは何もないだろう、というのが歴史の教訓だ。朝鮮半島を核保有国が制圧しようと、それは米国をはじめとする核クラブの面々が北朝鮮の核保有化を黙認した結果だ。それは日本を米国支配下に繋ぎとめておくための「装置」の一つだったはずだ。だから朝鮮半島の非核化は中国とロシアと米国の「核クラブ」国の責任だ。決して日本の責任ではないし、朝鮮半島の脅威を拡大させた一義的な責任は米国にあり、二義的な責任は北朝鮮を支援し続けた中国にある。

「軍事力拡大ごっこ」にうつつを抜かし、いつまでも軍事大国が世界を支配する、という先の大戦当時の常識を未だに信奉している国々とその指導者たちにこそ、現在の国際紛争とテロに対する責任がある。彼らが常に戦争の怨念と反撃の連鎖を育成し軍需商売の相手に仕立ててきた。
 日本はそうした枠組みの埒外にあるべきだ。不良たちがタイマンを張っている渦中へ飛び込むべきではない。そうした「戦争ごっこ」を卒業した証として、日本国憲法は「卒業証書」のはずだった。その「戦争ごっこ」から卒業した卒業証書たる日本国憲法をお飾り物に貶めて、再び戦争ごっこで自国民の命を弄ぼうとする愚昧な政治家たちの企みを決して許してはならない。


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