政治家は憲法を「解釈」で捻じ曲げてはならない。憲法に従うのが国会議員の義務である。

<安全保障関連法案をめぐり、衆院憲法審査会で憲法学者三人が憲法違反との見解を表明したことに対し、自民党の高村正彦副総裁は五日午前の役員連絡会で「憲法学者はどうしても(戦力不保持を定めた)憲法九条二項の字面に拘泥する」と反発した。高村氏は法案に関する与党協議の座長を務めた>(以上「東京新聞」引用)

 高村副総裁は「憲法の字面に拘っている」と憲法学者が「戦争法案」を「違憲だ」と断定したことを批判した。彼は弁護士資格を持つが、どうやら彼の弁護方法は「三百代言」を連ねて、法律からは想定されない判決を引き出すことのようだ。
<憲法第九条
 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない>(以上「日本国憲法」引用)
 日本国憲法に「「自衛」のための戦争は是認する」とは書かれていないが、自然人には命を奪われるかもしれない差し迫った危険に対して防衛する本能がある。それと同様で、国家にも憲法に明記されていなくても「自衛のための戦争」は容認されるものと解釈、して自衛隊の存続と自衛隊の武力保持を日本は認めている。確かに高村氏の言う「憲法の字面」に拘れば自衛隊すら容認されない可能性はある。

 しかし自国防衛のためなら「自衛隊」だが、集団的自衛権により他国を防衛するのなら「他国隊」と名称を変更しなければならない。「字面」とは拘るべき対象で、ことに文章解釈で拘らなければ「好き勝手」ということになりかねない。
 国語の読解力試験も高村氏の言葉に従うなら試験することが無意味ということになる。自分が解釈するのが正しい、というのなら学問として体を成さないことになる。だから高村氏が望む法体系をこの国に持ち込みたいのなら、そのような憲法改正案を国会に提出して可決し、国民投票にかけるべきだ。それが立憲主義国家として当たり前のあり方だ。「憲法学者は字面に拘りすぎる」と不満を口にするのは「憲法を無視せよ」と発言するのと同じことだ。憲法遵守義務のある国会議員として不見識な発言として看過できない。

 菅官房長官といい中谷防衛大臣といい高村副総裁といい、自民党は憲法を好き勝手に弄り過ぎる。むしろ字面に拘って、憲法の精神をくみ取るべきだ。それが嫌ならまず憲法改正をしてからのことだ。


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