より軍隊化する自衛隊。

 昨日、背広組優位の法制から制服組と対等の法制へ転換する法律が自公与党と維新の党の賛成で成立した。
<これまでの防衛省設置法は、防衛相が各自衛隊トップの幕僚長に指示する際、背広組幹部が「防衛相を補佐する」と規定しており、背広組が制服組より上位にある根拠とも解釈されてきた。

 これに対し改正法では、幕僚長の補佐と「相まって」背広組幹部が防衛相を補佐すると改められた。制服組が軍事面、背広組が政策面からそれぞれ防衛相を補佐するとの役割分担を明確化した。

 また、部隊運用を担当する背広組の運用企画局を廃止し、自衛隊の部隊運用を統括する制服組の統合幕僚監部に一元化した。今国会で審議されている安全保障関連法案が成立すれば、自衛隊の活動が大幅に拡大することをにらみ、統幕長をトップとした組織改編で迅速な部隊運用を目指す>(以上「毎日新聞」引用)

 自衛隊が現行の安保法制から自公与党が成立を目指す「戦争法案」により、より実戦部隊として、兵站からも行動できる「軍隊」へ大きく衣替えしようとしている。もはやシビリアンコントロールの利く自衛隊ではなく、戦前の「大本営」統括方式の軍隊に脱皮しようとしている。
 安倍自公政権が目論むのは警察予備隊として現行憲法内で日陰の子として生まれた自衛隊を、晴れて国際基準でも戦争遂行能力を持つ「軍隊」として育てる意図が明らかになった。安倍自公政権が目指す方向は「普通の国」かも知れないが、それは先の大戦で日本国民が共有した「痛切な反省」からの脱却であり、日本国憲法の実質的な放棄に他ならない。

 日本国民は憲法改正なき、安倍内閣の「解釈」による憲法改正を是認するのだろうか。それにより日本国民の若者は戦場へいつでも狩り立てられる存在になるのを承知しているのだろうか。
 戦場という屠殺場へ若者たちは引き立てられて殺しあう。まさしく修羅の地獄へ途が開かれつつあるのだが、日本国民はこのまま大人しい家畜のように「戦争法案」が成立するのを見守るだけなのだろうか。

<防衛官僚(背広組)と自衛官(制服組)が、対等に防衛相を補佐することを明確にする改正防衛省設置法は10日午前、参院本会議で自民、公明、維新などの賛成多数で可決、成立した。戦闘機などの防衛装備品の研究開発から取得、輸出までを一元的に担う「防衛装備庁」の新設も盛り込んだ>(以上<>内「毎日新聞」引用)
 戦前の日本を戦争へと駆り立てた一因に「軍需産業」と軍隊の癒着もあったことを忘れてはならない。今回、「防衛装備庁」が新設されたが、「防衛装備庁」を仲立ちとして高性能の兵器開発を日本が行うことも可能になった。高性能の武器を手にすれば「軍隊」はそれを実戦で試してみたい誘惑に駆られるのはこれまでの歴史で明らかだ。

 安倍自公政権は恐ろしいことを目論んで、数を恃みに着々と実行に移している。それを日本の腐りきったマスメディアは支援し、日本の米国属国化への後押しに余念がない。こうした憲法違反を三百代言で平然と推進する安倍自公政権の暴挙を国民は手を拱いて眺めるだけなのだろうか。
 平和維持活動と称して戦場で「道路整備」などの民生活動に従事した自衛隊員で、帰還後に50名を超える者が自殺しているという。国民平均の7倍以上の自殺率だという。戦場という極度の緊張環境下で一年以上を過ごしただけでも、人は心に癒しがたい傷を負う。戦後日本でヒロポンという覚醒剤が野火のように蔓延したのも、戦後の生活苦から逃れようとするだけでなく、修羅の戦場で壊れた心が求めた故かも知れない。ちなみに当時の自殺率も異常なほど高かったことも記しておこう。

 日本国憲法には様々な欠陥もある。しかし、それを欠陥と切って捨てることは立憲主義の否定になるし、暴走する政権を制御する安全ブレーキの役割を果たしていることも忘れてはならない。憲法違反を政治家たちが法律に制定することは第99条で禁じられている。
 自衛隊が日本の周辺事態に対応して防衛する「軍隊」であるなら、「防衛装備庁」は必要ない。なぜなら兵站は国民の目で見えるからだ。しかし世界で戦争をしている米国と共に行動するのなら、米軍と緊密に装備に関しても兵站に関しても日本政府と以上に連携しなければならない。修羅の戦場に直面した軍隊に日本の国会の審議結果を待っている暇はない。「防衛装備庁」は必ず暴走し、軍需産業と癒着する。そして戦争拡大の原動力となるのは、先の戦争で得た反省だったはずだ。

 日本国民は大人しい家畜として戦場という屠殺場へ連れられてゆくのだろうか。防衛のための戦争ではなく、米国のための戦争で屠殺される存在に、日本国民は成り下がろうとしている。それでも日本のマスメディアは安倍自公政権をヨイショし、自民党補完政党の「維新の党」は賛成し、第二自民党の「民主党」は素知らぬ顔をするつもりだろうか。
 本当の「国民の生活が第一」の政治を実施する政治家たちは何処へ行ったのだろうか。2009年に「国民の生活が第一」の旗印を掲げた小沢一郎氏の下に国民政治を目指す政治家たちは早急に結集すべきだ。似非・野党に野党の機能を任せていてはダメだ。国民は屠殺される家畜に貶められようとしているが、本来の国の主人に覚醒すべきだ、がそれは何時のことだろうか。


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