安保法制議論は、まず原点から。

<安倍政権が今国会で成立を目指す安全保障関連法案は、26日の各党の代表質問で、国会審議が始まる。安倍政権は、他国への攻撃を自衛隊が排除する集団的自衛権を、限定的に使うと説明してきた。しかし、中東・ペルシャ湾での機雷除去に加え、他国のミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃も可能とする見解が示された。政権がどこまで行使を可能と考えるのか。国会論戦の大きな焦点だ。
 菅義偉官房長官は25日の記者会見で、敵基地攻撃について「誘導弾などの基地をたたくことは、法律的には自衛の範囲に含まれ、可能という国会答弁がある」と述べ、政府は個別的自衛権で可能との見解を示してきたことを説明した。そのうえで、菅氏は「敵基地攻撃については、新3要件の中でも方針は変わらない」と述べた>(以上「朝日新聞」引用)

 安倍氏が党首討論で繰り返し「他国の領土領海で戦争行為はしない」という主張と、菅官房長官の主張とは明らかに異なる。人が違えば解釈が異なる、というのでは政府見解としていかがなものだろうか。
 そうした解釈のブレは今回の安保法制が「解釈」の上に成り立っているからに他ならない。つまり法案の背骨となるべき憲法の裏付けがないからだ。解釈改憲といういわば憲法に対して事実上の違憲立法をしているから、誰が見ても明確な歯止めのない「解釈」という不義理を働いているからだ。

 不義理を働いてそれが正しいとしてしまえば、あとは不義理の屋上屋を重ねるだけだ。他国と徒党を組んで地域無限定に軍事行動が実施可能とすれば、戦争放棄を定めた日本国憲法はもはや跡形もなく消え去ったのと同然だ。
 そうすれば政権のやりたい放題となる。首相が何と発言しようと、官房長官が何と発言しようと、防衛大臣が何と発言しようと、それらはすべて根拠なき「解釈」に他ならない。つまり政権をハンドリングする個々人の自由裁量に任されることになる。これはもはや法治国家として体をなしているとはいえない。

 憲法第9条の規定に立ち返って議論すべきだ。そして「自衛権」とはいかなるものかを共通認識として国民に徹底して説明すべきだ。そうすれば順序として、まず憲法に「自衛権とは」と明文化してから安保法制を議論すべきだと国民も憲法改正に同意するのではないだろうか。
 野放図な「解釈改憲」をまず先に行ったことが安倍自公政権の大きな落ち度だ。彼らは日本国憲法を蔑にしてしまった。政権そのものが憲法に定められた存在であることを忘れて、憲法を亡きがごとくに取り扱ったことが彼らの過ちだ。

 国のカタチを規定している憲法を疎かにしてはならない。常識的な国語力を超えた「解釈」を文章に対して行えば、現代国語の回答としては×を付けるしかないだろう。
 安倍自公政権が今国会に提出した安保法制改正案はそもそも議案として議論する以前に憲法違反として国会が審議対象としてはならないものだ。そうした機能が働くべく日本国憲法は三権分立を規定しているのだが、国会議員が日本国憲法に忠誠を誓って選出されていないため、本来抱くべき憲法への尊厳が羽毛のように軽くなり過ぎている。何でも「解釈」で出来ると思いあがった考えはこの国の未来を誤らせる元だ。政治家はもっと憲法に忠実にならなければならない。議論は原点からもう一度やり直すべきだ。


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