ついに安倍自公政権は小学生にも解る憲法無視の世界の何処でも戦争が出来る国に日本を変える。

 最初から解っていたことだ、公明党が自民党の歯止めにも何にもならないことは。ただただ下駄の雪として自民党に踏み付けられてもついて行くのが公明党の支持団体への課税が及ばない保険だということだ。
��安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、法整備に関し「国民の理解が不可欠で、自衛隊が行動していく上では、さらに国民的な支持が必要だ。今後とも国民に丁寧に、真摯(しんし)に説明していきたい」と述べた。「専守防衛を今後も維持していくことに変わりはない」とも強調した。
 与党は4月半ばに協議を再開し、政府が示す法案要綱の審査に入る。政府は大型連休前に与党の了承を取り付け、5月半ばに法案を提出したい考えだ。
 合意文書は、公明党が求めていた、「国際法上の正当性」「国民の理解と民主的統制」「自衛隊員の安全」をそれぞれ確保するとの3原則を、冒頭に明記。その上で、(1)武力攻撃に至らない「グレーゾーン」事態への対処(2)日本の平和と安全に資する活動を行う他国軍に対する支援(3)国際社会の平和と安全への貢献(4)集団的自衛権行使を含む憲法9条の下で許容される自衛の措置(5)邦人救出などその他の活動―の5分野で方向性を示した>(<>内「時事通信社」引用)

 たとえば戦場で武器弾薬の補給を他国軍に行うことは「戦闘行為」となんら変わらないことだが、そうしたことは単なる「後方支援」だとして自公合意では可能だとしている。しかも、現代の戦線なき戦争では後方の概念はかつての概念ではなく、敵味方に分かれればいつでもミサイルや自爆テロを仕掛けられることを覚悟しなければならない。
 それが「国民」の安全を確保することなのだろうか。むしろ国民の安全を確保すると主張しつつ、日本の国土と日本国民の案税を脅かすことではないだろうか。古来より「君子危うきに近寄らず」というではないか。

 日本の自衛隊が武器を携えて、他国軍と協力して敵に対峙できるのは「周辺事態」に限定すべきだ。世界の彼方へ出掛けて日本の自衛隊が「日本国民の安全確保」のために戦争しなければならない必然性がどれほどあるというのだろうか。
 米国は米国内の1%の人たちの利権確保のために戦争が必要なのは理解できる。そうした利権囲い込み合戦を米国はロシアやイスラム教徒たちと繰り広げて来たし、今後はそうした連中に新たに加わる中国とも繰り広げるのだろう。しかし、日本がその利権囲い込み合戦に武力持参で参加する必要があるというのだろうか。

 結局は千年を超える宗教対立と地下資源の「利権ごっこ」に過ぎない中東の戦争に日本が参加するのはむしろ危険だ。今後日本が国際社会で果たすべき役割はそうした現代的な対立を解消するための一次元高い立場から世界を導く立場に立つべきであって、一方の陣笠奴に自衛隊員を差し出すことではない。
 さっそく安倍氏は欣喜雀躍、自公合意の文書を携えて、宗主国様にご機嫌伺いに来月26日に渡米するという。米国議会も「可愛い奴よ」と議場で演説させるという。なんと解り易い支配者と従僕の関係図だろうか。自衛隊を差し出すことは安倍氏にとっては米国様に気に入られる手土産に過ぎないようだ。

 しかし日本は深刻な事態に陥ることを国民は覚悟すべきだ。憲法改正ないままであれ何であれ、気の触れた首相が出現すると何でも出来てしまうことが「前例」となってしまうのだ。閣議決定で首相の解釈が憲法の存在を超越して次の国の方針となり法律になってしまう。なんという恐ろしいことだろうか。
 そしてこの国のマスメディアは終始一貫警鐘を鳴らすよりも、安倍応援団になって一緒に飯を食ったり一緒にゴルフに興じたりしている。節操のないマスメディアに国民はいつまでこの国の第三の権力を預けるもつもりだろうか。そして憲法の番人たるべき最高裁も米国と自民党政権のポチに成り下がったままだ。なるほどGHQによって与えられた安穏とした地位を温めるだけが最高裁判所の役割だから、それを脅かす小沢一郎氏は検審会を捏造して迫害しても、米国の指針に沿う安倍自公政権が憲法をゴミクズ同然に扱おうと、沈黙したまま高給を食んでいれば我が世の春が続くのだろう。マスメディアのみならず、この国の司法の府まで腐りきっているようだ。


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