「視野狭窄症」の安倍自公政権。

 政治家たる者高い見地から国民全体の身の上を考えて政治を行うべきだ。決して国家があって国民があるのではない。すべては国民のための政治を心掛けなければならない。
 安倍自公政権は「視野狭窄症」に陥っているようだ。安倍氏個人の「視野」に衆参で過半数を占める自公政権の政治家たちすべてが嵌め込まれて、意見する者が皆無の状態のようだ。それを「翼賛政治」と呼ばずして何と呼べばよいのだろうか。

 安倍氏の大きな横顔に『まっすぐ景気回復』というキャッチフレーズが印刷されたポスターが街にあふれていたが、一向に景気回復しない。政権就任時に「政治は結果です。民主党政権時代の三年間に結果が何も出ていないではないですか」と、民主党政権を批判していたが、その言葉はそっくりそのまま安倍自公政権にお返しされようとしている。
 異次元金融緩和は日銀の所業である。それを安倍自公政権の政策だ、と安倍氏が誇るなら、安倍氏は日銀の自立的金融政策を侵害したことになる。異次元金融緩和は安倍氏が就任を画策した日銀の黒田総裁が強引に実行したものだ。しかし、それは日銀の自立的な金融政策だということでなければ日銀の政府から独立した中央銀行としての役割放棄ということになりかねない。

 安倍自公政権は安全保障法制に関して立憲主義を否定する改憲的な大変革を実施しようとしているが、それこそが「視野狭窄症」に陥った戦前の軍部を想起させるものだ。自衛隊員もまた国民で、日本国民の地を大義なき「戦争ごっこ」で世界の何処でも誰とでも流して良い、という安倍自公政権の安全保障法制の野放図な拡大には大いに異を唱えなければならない。
 日本は先の大戦で敗北し、真摯な反省の上に立って新しい国家創生の歩みを始めたはずだ。その基本原理は「日本は軍を持たず、国際紛争を武力で解決することを放棄する」と憲法に定めたはずだ。それを米国を想定する他国とチームを組んで国連決議に依らないで世界の何処でも誰とでもいつでも戦争が出来る、ことにするとはいかなる考えだろうか。

 いや、後方支援に限定している、というのは詭弁に過ぎない。現代のテロを主体とする戦争は前線も後方も区別のない全面的な戦争だ。そうした国民を騙す議論に対して言論界が沈黙している現状が不思議でならない。
 さらに、テレビなどで現政権を批判する言辞を吐くと直ちに「降ろされる」という事実に言論界が大いに異を唱えないのもなぜだろうか。格安の電波料で寡占的な運営を保障されているテレビ局が政権に阿ているとしたら飛んでもないことだ。新聞各社も現行の再販制度の維持と、消費増税時の軽減税率適用を願って政権批判を封じているとしたら、彼らにマスメディアのジャーナリストを名乗る資格はない。単なる政権の幇間たちや電波芸者たちだと唾棄すべきだろう。

 視野狭窄症に陥っているのは安倍自公政権だけでなく、安倍自公政権を支持する国民と消費増税を自公政権よりも先に決めた民主党の政治家たちだろう。彼らの眼前から国民の姿は消えて、霞ヶ関の財務官僚をはじめとする官僚たちの姿が大きく立ちはだかっているのだろう。
 そして防衛族たちの眼前からも国民の姿は消え去り、米国様の厚かましくも尊大な姿が覆いかぶさるように見えているのだろう。自衛隊員もまた日本国民である。日本国民の姿が見えない政治家たちに政治を任せていては危険だ。自衛隊の活動範囲は国連決議がない限り、日本の周辺と限定すべきだ。大義なき米国の戦争にノコノコと地球の裏側へ出掛けて、日本国民の自衛隊員の血を流してはならない。

 「円安・株高=景気回復」という独善的な景気回復論理に陥っている安倍自公政権は経済原理の原則に立ち帰って、個人消費拡大が経済成長の基本だという考えに戻るべきだ。景気の主力エンジンたる個人消費を直撃する消費増税をやって税収増を図るとは飛んでもない愚策だと、財務官僚を叱り飛ばすくらいの政治家はなぜこの国にいないのだろうか。そして評論家たちも電波芸者さながらに安倍自公政権に阿るだけとは、何という情けないマスメディアだろうか。視野狭窄症に陥った政治家たちとマスメディア・言論界が国民までも視野狭窄症の戦前に国民を引き戻そうと画策しているように思えてならない。それは単なる杞憂だろうか。


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