自公政権はどうしても日本国民の血を国際紛争の場で流させたいのか。

<安全保障法制の整備をめぐって、与党内の協議が続く中、自民党の高村副総裁は、21日、北九州市で講演し、現行の周辺事態法の改正について、「周辺事態は地理的概念ではない。誤解されやすい言葉は取った方がいい」と述べた。
自民党の高村副総裁は「周辺事態法は地理的概念ではない。どこで起こったかは関係なく、(わが国の)平和と安全に重要な影響があるか、そういう話だ>(以上「NNNニュース」引用)

 従来、周辺事態法とは自衛隊が出動する範囲を日本を取り巻く領海とその周辺に限定していた。それは日本国憲法の「国際紛争を武力の行使により解決しない」という戦争放棄規定を読む限りではそれ以上のことは出来ないとする解釈からだ。
 しかし副総裁の高村氏は「周辺事態は地理的概念ではない」と国語読解力の範囲を超えた解釈をしてみせた。つまり日本の存続にかかわることなら世界の何処までも「日本の周辺」だというのだ。だが、それは現代文の読解力テストではゼロ点だ。それをいうなら「日本の国益にかかわる事態が起こっている地域は日本の周辺地域と同等とみなす」と書き換えるべきだろう。

 しかし、それは明確に「国際紛争を武力の行使により解決」しようとすることに他ならない。日本国憲法で明確に否定していることを自公政権は法律制定により可能にしようとしている。それが立憲主義の否定でなくしてなんだろうか。
 法治国家とは法規に従うことだ。その法規の最高規範が憲法なら、すべての法律は憲法規範に適うものでなければならない。しかし高村氏は百代言を費やして国民を言い包めようとしている。本来なら憲法の番人たる最高裁が談話を発表して、政権が画策している自衛隊三法改定は「違憲立法審査権」発動に関わることだと警告すべきだ。

 この国は憲法改正なくして何でも出来る人治国家に成り下がろうとしている。確かにホルムズ海峡が封鎖されれば9割以上を中東の原油に頼っている日本は「油断」の危機に陥ることになる。しかし、そんなことは何十年も以前から解っていることだ。解っていながら原油輸入諸国の分散化と代替原油の開発を怠ってきた日本政府と石油関連企業の怠慢ではないだろうか。
 既に数兆円も浪費した「石油開発」特別法人はじうなったのだろうか。それは与野党とも「触れない約束」を官僚と交わしたことなのだろうか。ハイドロメタンの実用化の日程はどうなっているのだろうか。そしてハイドロメタンから水素を抽出することや太陽光を使って水を電気分解して水素を発生させるプラントなどを日本は世界に先駆けて作ろうとする試みもないのだろうか。
 燃料電池自動車などといったミニ化学プラントを積載した自動車の普及よりも、既に水素だけで走るロータリーエンジンの技術供与や製造提携により日本で水素を内燃燃料とした水素自動車を製造することの方が先ではないだろうか。何も国際紛争の火薬庫・中東へ日本まで軍装備をした自衛隊を派遣して首を突っ込む必要はない。どうしてもそうしたいのなら、ガキの妄言のような「周辺事態とは地理的な周辺を指すのではない」などといった極めて文学的な屁理屈を大のオトナが口にすべきではない。弁護士でもある高村氏は法律用語とは使われているすべての言葉が明確に定義されていることを承知しているはずだ。そこに文学的な「言い換え」など潜む余地のない構成になっているのを高村氏は知っているはずだ。知っていてあえてそれをやってのけるのは聴衆や国民をバカにしていることに他ならない。

 どうしても自公政権は自衛隊員の血を国際紛争の場に流さなければ気が済まないようだ。それなら堂々と憲法改正という表から正攻法で臨むべきだ。最高裁を舐めきった「解釈改憲」によりコソコソと圧倒的多数で自衛隊関係三法を改正して強行しようとしてはならない。立憲主義国家の詩を意味する蛮行に際して、言論界は沈黙し、憲法の番人たる最高裁は「違憲立法審査権」を放棄して政府の軍門に最初から下って、最高裁判事の椅子を死守しようとする哀れな法律官僚の末路の姿を国民大衆の眼前に晒し続けるのだろうか。


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