安倍政府は愚かにも沖縄県知事に対してガキの対応をした。

 沖縄翁長新知事の上京訪問に対して、政府要人は一人の副大臣を除いてことごとく面会を拒否したという。そして沖縄振興予算3000億円の削減もほのめかしている。
 辺野古沖移設を突如として容認した前知事は沖縄県民の信認を失って落選し、辺野古沖移設に反対の翁長氏を新知事に当選させた。政府要人も選挙により当選した民主主義の申し子なら、沖縄県民を代表する新知事と面会して沖縄県民の民意に耳を傾けるべきだった。

 さっそくテレビの記者上がりの古手解説者が政府にヨイショして「翁長新知事もこうした背て不の対応は予想していたことでしょう」などとバカな言辞を弄している。政治の場で意見の対立があるのは当たり前だが、その時にいかなる対応をすべきかによって政治の程度が知れるというものだ。
 安倍政権の政治はガキの段階だ。そこらでトグロを巻いて通行人に言い掛かりをつけるガキたちと何ら変わらない。自分たちにおもねる者とは和気藹々と会談したりゴルフを楽しんだりするが、気に食わない者に対しては相手が公人として会談を求めても拒否し、三日も東京で徒に時を過ごさせて平気だ。

 それで沖縄県民が震え上がって翁長氏に変節を促すとでも思っているのだろうか。秘書や一部記者たちや御用学者や幇間タレントなどの彼らのバカな取り巻きなら震え上がるかもしれないが、沖縄県民により選ばれた翁長氏が安倍官邸の反応に震え上がることはない。
 むしろ「反対」を正々堂々と筋を通して貫く決意を固める一助になったことだろう。民主主義において恐れるべきは権力者ではない。有権者の多数意見こそに耳を傾けるべきなのだ。愚かなマスメディア解説者たちは「国民に痛みを伴う負担増も時として行わなければならない」などと財務官僚が随喜の涙を流す太鼓持ちを演ずるが、国民に痛みを求めて自分たちは腹一杯の報酬を手にするのは一種のサディズムではないだろうか。

 政治はSMショーではない。国民が幸せにならないで何が政治だ。国民の生活が第一の政治こそが政治本来の姿だ。それをトコトンまで追求して、政治家は泥の中を這いずり回るべきだ。
 彼らは選挙の時に何と言って有権者に訴えたか。「私にやらさせて下さい」「皆様の手足となって働きます」「身を粉にして働かせて頂きます」などと歯の浮くような戯言を並べ立てたはずだ。それならしっかりと戯言を現実政治の場で実現して頂こうではないか。沖縄県民は翁長氏を知事に選出した。その翁長氏を三日も東京で野晒にした安倍政府は沖縄県民に対していかなる無礼を働いたか、心の底から思い知らされることになるだろう。


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