自衛隊の海外派遣議論はまず派遣を「限定」する歯止めから検討すべき。

<安倍首相は29日の衆院予算委員会で、自衛隊による在外の邦人救出について、「領域国の受け入れ同意があれば、自衛隊の持てる能力を生かし、救出に対して対応できるようにすることは国の責任だ」と述べ、今国会に提出予定の安全保障関連法案の成立に意欲を表明した。
 ただ、昨年7月の閣議決定では、邦人救出の際の自衛隊の活動範囲は「その領域において権力が維持されている範囲」と限定しているため、日本人人質事件が起きた「イスラム国」は対象外となるとみられている。
 また、首相は、原子力発電所の安全対策に関連し、「安全神話から決別し、安全対策を構築しないといけない。安全対策を日々更新する決意だ」と述べた。そのうえで、「厳しい規制基準に合致したものについて再稼働を進めていく」と改めて強調し>(以上『読売オンライン』引用)

 相手国の領土内へ自衛隊を派遣して「人質」の救出を行うことは国際的に許されたことなのだろうか。その国が戦闘状態に陥り、統治権が及んでいない地域があるとしても、そこへ軽火器などで武装した自衛隊が入り込んで戦闘行為も想定した「人質」救出劇を展開するのは危険だ。
 たとえば「人質」が日本政府の送り込んだ「捕まるための人間」だったとしたら、日本政府はいつでも「人質」救出を口実に自衛隊を派遣して他国の統治権を犯すことが出来ることになる。それは戦前の軍事大国・日本の姿と全く変わらないことになる。安倍氏は今回の「イスラム国」の人質は自衛隊の救出対象にはならないと見解を示したが、そうした曖昧な「首相見解」による自衛隊派遣容認こそが問題だという認識が安倍氏にないことが問題だ。

 さらに原発に言及して、世界で最も秘儀市区ない日本の原子力規制(推進)委員会の安全基準を「厳しい基準」に合致したものにして再稼働を進める、というのも噴飯ものだ。安倍氏は福一原発の事故調査が終了しているとでも思っているのだろうか。
 いや、彼はオリンピック招致会場で「福一原発の放射能汚染水は完全に制御されコントロールされている」と大嘘が堂々と吐ける人だから、不完全にして国民にいつ何時、健康被害が及ぶかも知れない状態の原発に対しても、「安全」でさらに厳しい基準を定める、と安全装置が二重にも三重にもあるかのような錯誤を国民に与えようとしている。そもそも福一原発は津波による全電源喪失による原子炉の暴走が始まる前に、原子炉内の細管などが破断してオペレーション出来ない状況に陥っていたとする証拠がいくつもあることにこそ注目すべきだ。

 津波が来なくても、地震で様々な径の配管が放射能汚染された水蒸気などで満たされ、塊となって原子炉建屋内に張り巡らされていることを考えれば、地震周期に同調し破断する配管が必ずあることを想定すべきではないだろうか。特に大きな釣鐘のような構造の原子炉と、その内部に入る多数の細管の接合部は振動周期の相違から地震により千切れて破断することは十分に想定される。
 原子炉が免震構造の上に浮いているとしても、細管がフレキシブルな構造でない限り、細管の振動周期は他の接触する原子炉建屋に固定する金具などの振動周期と異なり、破断する可能性を否定できない。机上の空論で「厳しい安全基準」だと安倍氏が言及することこそが現実の福一原発事故原因を調査していない児戯に等しい空論だといわざるを得ない。

 戦争大好きな米国の軍隊と日本の自衛隊の行動基準を合わせようとする企みは国民の総意で阻止すべきだ。自衛隊の「集団的自衛権」の行使が容認されるのは世界の安全が脅かされている場合であって、邦人が勝手に危険とされている地域へ出掛けて囚われた場合にも派遣出来るとするのは危険に過ぎる。昨日の安倍氏の国会での見解表明に対して野党が一斉に噛みつかないのはなぜだろうか。
 明治維新政府内でも西郷隆盛は「征韓論」を唱えていたが、その実態は西郷隆盛自身が明治政府の特使として半島へ行き、李氏朝鮮に無礼を働いて殺害されるから、それを口実に半島を占領する、というものだった。そうした戦争口実により敵を征伐した成功経験が西郷隆盛にはあった。
 それは奥州列藩同盟に政府軍特使として訪れた世良修三が無礼な振る舞いに及んで仙台藩士たちに惨殺され、それを口実として政府軍は攻め込んで旗色を鮮明にしていなかった東北各藩をまとめて「朝敵」と認定して攻め滅ぼした。それこそが西郷隆盛の謀略だった。だからこそ最初は甥の大山氏が行くはずだったのを長州藩の世良修三に交代を申し込んだのだ。

 政治史にはそうした非情な企みはゴマンとある。「人質」が囚われた弱い人と思い込むのは危険だ。国民の意思統一のために差し出された「生贄」の場合だってある、ということを常に心の片隅に置いておくべきだ。
 今回の「イスラム国」に囚われている後藤氏がそうだというのではない。しかし少なくとも彼は危険を承知の上で、ジャーナリストとしてではなく、一人特殊部隊として友人救出に向かった。無謀な思い上がった行為だと批判されてしかるべきだ。後藤氏の命は勿論大切だが、救出するためにテロ集団に対して間違ったシグナルを送ってはならない。彼らが自分たちの要求を通すためには日本人を拉致すれば良い、と解釈すれば日本国民全体に危険度が増すことになる。テロに屈してはならないのだ。だがそれは自衛隊の特殊部隊を派遣して力づくで対峙することではない。


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