法人税引き下げで「経済成長」とは、安倍氏の経済学は支離滅裂だ。

<政府・与党は28日、2015年度税制改正で最大の焦点である法人実効税率(34・62%。東京都は35・64%)の引き下げについて、下げ幅を15年度は2・51%、16年度までの2年間では計3・28~3・29%とする方向で最終調整に入った。
数年で5%程度を引き下げる目標の半分以上を最初の2年間で達成し、安倍政権が課題とする経済成長を進める>(以上『読売新聞』引用)

 経済成長を政権の至上命題とするなら、消費税を5%に戻すべきだ。GDPのメインエンジンたる個人消費を冷え込ませて、何が経済成長だ。安倍氏はマネーゲームに過ぎない異次元金融緩和策を魔法の杖でもあるかのようにアベノミクスと命名して宣伝したり、単なる二十年も前の「中心市街地活性事業」を焼き直して「地方創生」事業と銘打ったりと、口先三寸で国民を騙すのが得意のようだ。
 税制大綱は「経済成長のため」に実施するとしているが、飛んでもない改悪を断行しようとしている。法人税率を引き下げないと世界の趨勢に遅れる、というのが表向きの理由だが、法人税率が低い国は経済的に後発国の国内産業資本が未発達の国々だ。つまり法人税率を低く設定して、不足している産業資本を補うために外国資本を国内に呼び込み企業展開するように誘致策として実施ているに過ぎない。それが証拠に米国は法人税率40%のままだが、それでも経済成長している。かつて日本が高度経済成長していた頃の法人税率は37%台だった。

 詭弁を弄する傍らで、安倍政権は弱小企業を潰しにかかったようだ。外形課税を強化するというのだ。
 外形課税とは資本金額や売上金額などの「外形」を課税標準として課税するものだ。たとえ赤字であろうと、企業は規模により社会インフラなどを使用しているから税を負担すべきだ、という理論だ。
 しかしそれがいかに飛んでもない税かを国民は知るべきだ。企業が地域にあれば必ず何人かを雇用し、地域で何らかの消費財を調達している。そうした企業でも赤字なら法人税の担税力はないとするのが本来の税のあり方だ。「応能負担」こそが税の大原則だ。負担能力なき企業に税を課すことは「潰れてしまえ」と死刑宣告するに等しい。

 その反面、企業業績の良い企業に対する法人税は軽減するという。これも「応能負担」の大原則に反している。個人に目を転じてみても、親から子や孫への贈与税は最大で3000万円まで非課税にするという。これまでは年間100万円、新築援助でも500万円までが非課税とされていた。しかし大幅に贈与税の非課税枠を広げて老人世帯が貯蓄しているカネを消費世代へ移転させて消費させようとする理論立ては理解できるが、しかしそれは格差の世代を超えた固定でしかない。
 社会的均衡を重視するなら、世代を超えた格差を固定化するのは好ましくない。相続税の最低課税を引き上げたのは評価できるが、贈与税の非課税枠を3000万円まで拡大するのには反対だ。

 人は裸でこの世に生まれ、機会均等の社会で能力に応じて努力して成果を手にする、というのが人生だ。親が成功した果実を子供も共有して機会不均衡な有利な人生競争を歩み出すのも同一世帯を営む親子関係から致し方ないとしても、独立した後までも金持ちを優遇するというのは頂けない。
 それなら富裕税を創設して富裕層に課税を強化するか、所得税率を以前の超過累進税率に戻すのが筋だ。「応能負担」が税の大原則だということを忘れてはならない。そして税の役割の一つに「格差是正」と言う重要な働きがあることも忘れてはならないが、安倍政権は「富む者はさらに富み、貧者はさらに貧しく」と格差拡大策を着々と実行している。まさしく安倍政権は1%に奉仕する政権だ。それなのになぜ99%の国民までも安倍政権を14日の選挙で支持したのだろうか。民主主義とは「確立した個人」が手にすべき制度であって、マスメディアに即席で洗脳される愚かな国民が手にすべきものではないと思わざるを得ない。


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