公的簿記のすべてを複式簿記にすべきだ。

 多くの社会インフラが老朽化して崩壊の危機を迎えようとしている。開業以来50年を経過した新幹線とてその例外ではない。
 JRが企業会計原則に基づく複式簿記を採用しているなら「減価償却資産」として新幹線の高架道床なども計上されて、毎年減価償却を計上しているはずだ。そうすれば他人から指摘されるまでもなくB/Sを見ればどれほど減価しているかは一目瞭然だ。

 国や全国の自治体は残念ながら単式簿記を古の律令制度いらい、千数百年も続けている。世界的に見ても単式簿記を公的な会計として採用している国は北朝鮮と一部のアフリカ諸国だけだ。なぜなら国家経営として簿記を役立てようとした場合、減価償却資産の減価算定と費用対効果が解りにくいからだ。
 全国に網の目のように張り巡らされている道路網も、単式簿記で表現されている。だからどれほど減価しているのか判然としていない。全国に無数にある道路橋梁も然りだ。国民は社会インフラの老朽化が身に迫る危険として足音を忍ばせて近づいて来るのを知らないで日々を過ごしている。

 企業会計原則に基づく複式簿記をすべてのこの国の企業体が採用していれば、電力各社の摩訶不思議な「総括原価主義」などという学問的に荒唐無稽なご都合主義の減価算定方式など一笑に付されているはずだ。しかし摩訶不思議な原価算定方法が大手を振って罷り通り「原発で発電する電力は安価だ」という非論理的な話が『常識』としてこの国で広まっている。
 いうまでもなく企業会計原則に基づく会計基準で算定すれば、原発は発電装置として失格の烙印を押されるべきで、到底『採算』に見合わない。なぜなら当然発電原価に算入されるべき廃炉解体処分予測費用や「使用済み燃料」の処理と最終処分などで見積もられる莫大な「原価」が算入されていないからだ。

 原子力発電などは人類がやるべきではなかった。最低でも一万年、完全を期すなら十万年も最終処分場を維持・管理するなどという人類にとって不可能なことだからだ。
 日本国民なら知っている。僅か千数百年前の万葉時代の書物が既に『古典』として学ばなければ読めないことを。いや、万葉時代を持ち出すまでもない。僅か百数十年前まで一人前の男子なら身に備えるべき学問だった『漢文』すら学ばなければ読めない。

 言語や伝達手段は刻々と変化する。「やばい」が本来の危険を伝える意味の「やばい」でなくなっているし、「全然」は「ある」という反対の意味にすら変化している。
 一万年後の人類に放射能廃棄物最終処分場の「危険立ち入り禁止告知プレート」がその意味として読めるという保証があるだろうか。現代を生きる我々は飛んでもないことを仕出かしているのかも知れない。

 原発を持ち出すまでもなく、国家や地方の行政は国民の税や負担金で運営されている。その果実としての社会インフラがどのような状態になっているのか、決算書を一見しても判然としないのは行政の責任が果たされていないということではないだろうか。
 さらに一般会計以外に特会を設置して、国会議論の対象から隠そうとしているのは公開の原則に反しているのではないだろうか。企業会計原則を適用すれば「総額主義」の原則が適用され、特会などというものは「粉飾決算」として許されない。官僚たちが当たり前のような顔をして特会を設けているが、それらは企業会計原則でいえば会計違反行為でしかないのだ。そうした意識を官僚や政治家のみならず、国民も持つために公的簿記のすべてを複式簿記に改めるべきだ。それは一日も早い方が良い。


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