死者を出す祭りは豊穣に感謝する祭りではない。

<5日午後4時半ごろ、兵庫県三田市天神3丁目の三田天満神社で、秋祭りのだんじりが境内の手水舎(てみずしゃ)にぶつかり、屋根(縦約3・7メートル、横約5・3メートル)が落下した。多数の見物客が屋根の下敷きになり、このうち同市西山2丁目、奥田真理子さん(47)が死亡。女児(5)が右足を骨折するなど男女14人がけがをした>(以上『毎日新聞』引用)
 激しい祭りとしては岸和田のだんじり祭りやだんじりを激しくぶつけ合うけんか祭りなどがある。しかしいずれにせよ激しい余り死者が出ては祭りではなく惨事であり人災に過ぎない。

 いうまでもなく祭りは『ハレ』の日であり非日常の共有に主眼がある。祭りに参加する人たちは厳しい規律に縛られた日常生活からの解放を楽しむために規律を破る暴走を楽しむ。だが、その暴走にも一定の規律がなければならないのは指摘するまでもないだろう。
 祭りを主宰する人たちは規律ある祭りを実行する責任がある。祭りに参加している人や沿道の見物客などに死傷者が出ては非日常の『ハレ』の日の演出ではなく、直ちに過失致傷という現実の規範に引き戻される。

 つまり祭りといえども非日常の暴走は許されない。道路封鎖して道路交通法の規律から一時的に適用除外しても、だんじりが暴走するのも行政が『危険』と判断すれば取り締まりの対象になる。『ハレ』の日は楽しむものであり、悲惨な事態に悲しむ人を産むものであってはならない。
 露店の発電機に給油するために補助タンクを安全弁の解放なく主栓を開けて気化していたガソリンが噴出して悲惨な火傷による死傷者が出た事件もあった。危険物取り扱いの資格取得者を配置するまでもなく、常識としてガソリンの取り扱いは慎重を期すべきというのは当然解っているはずだとしている。しかし世間にはそうした常識を持たない人が当然のように危険物を扱っている。

 毎年のように全国のどこかで花火大会の事故も起こっている。花火はいうまでもなく火薬の塊だ。黒色火薬という威力の弱い火薬であるが、爆発すれば人を殺傷する能力は勿論ある危険な物体であるものに変わりない。
 花火師は当然黒色火薬を扱う者としてしかるべき資格を得た人たちが厳格な管理の下に花火大会を行っているのだろうが、それでも事故は毎年のように起こっている。事故後に一年程度花火大会を中止して謹慎するのも結構だが、事故原因を子細に分析検証して、事故が再び起こらないようにする危険防止策を徹底することの方が大事だろう。

 楽しいはずの『ハレ』の日が悲惨な記憶に塗り替わってはならない。そのためにも祭りを主宰する人たちの規律の徹底は厳しく問われる。


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