米国の正義とは何か。

 8月6日を前に、米国で一人の葬儀が行われている。エノラ・ゲイと呼ばれる爆撃機クルー最後の生存者だった男の葬儀だ。
 エノラ・ゲイとはB-29の中で原爆投下用の改造(シルバープレート形態)が施された15機の内の1機である。広島・長崎に原爆を投下した搭乗員たちは「仕事でやった」と原爆投下に対して謝罪したことはない。

 米国は日本に原爆を投下したことについて「戦争を終わらせるため」だとか「米軍兵士の命を救うため」だとかさまざまな正当化する言い訳を発しているが、誰がどのように美化しようと原爆投下はジェノサイドであり、ジュネーブ条約違反行為だ。
 米国は日本の戦争責任者や戦争犯罪人を事後法により東京極東裁判にかけて、国際法的に明確な根拠を欠く戦争犯罪により日本の指導者たちを絞首刑に処した。しかし法の適用というなら公平・公正さが失われたものであってはならない。

 米国は日本を処罰したが米国自身は処罰していない。米国の戦争責任者はノウノウと生き続け、生き続けたのみならずこの戦後70年足らずの間にも繰り返し大儀なき戦争を世界中で行ってきた。
 あたかも米国は米国人が大好きな二丁拳銃を腰に馬に跨ったカウボーイよろしく、世界の無法者を退治している、という自己陶酔に陥っているようだ。自己陶酔の裏には「国益」という見え透いた欲望が丸見えのオマケ付だ。

 米国の正義とは何か、と問いかけたい。同じように、中国の正義とは何かと中国共産党主席に問いかけたい。ロシアのプーチンにも問いかけたい。彼らは戦争が必ずしも「悪」とは考えていない。自分たちの誇大妄想狂による独自の「正義信仰」を実現するために、彼ら独自の「正義信仰」に従わない国や人々を邪宗の信徒とみなして、平然と侵略し殺害する。

 それは恰も狂信的なカルト信者が宗教の名を借りて行う殺人のようだ。しかし彼らは宗教ゆえに「思考停止」に陥っている。信じる者は救われる、という救われ難い境地に到っている。エノラ・ゲイの搭乗員は原爆投下のスイッチを押したことにより地上の地獄が出現したおぞましさに自らの存在を畏怖したことがなかったのだろうか。無残にも命を奪われた多くの人たちに涙したことはなかったのだろうか。

 米国の正義とは何かを問わなければならない。なぜなら日本は戦争責任者を無法にも処罰され、その無法状態をGHQにより日本のマスメディアや日本の文化人と称する連中や教育者たちの思考回路に刷り込んだ。そしていまも故なき自虐史観として日本国民に根強く残っているからだ。
 どこまで、日本は米国の紙のように薄っぺらな正義と付き合うつもりだろうか。「唯我独尊」的な米国の正義の化けの皮を剥がして、1%の人たちに奉仕するために99%の人たちを踏みつけにしても是認すべき、という仕掛けに過ぎないことをそろそろ看破しようではないか。


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