表現の自由を保障する憲法を侵害していないか。

 この国はおかしな方向へ進んでいるのかも知れない。<自民党の「ヘイトスピーチ対策等に関する検討プロジェクトチーム」(PT、座長・平沢勝栄政調会長代理)は28日の初会合で、特定の民族や人種の差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)に対し、法規制も含む対応が必要との認識で一致した。一方、国会周辺での大音量の街宣活動やデモに対する規制も今後、議論の対象にすることを決めた>(以上『毎日新聞』引用)
 人種や人権に対する攻撃的なスローガンを連呼するデモに対しては『名誉棄損』で対抗することはいくらでもできる。国会周辺に限らず、デモ行進に際しては現行法下でも様々な規制はかかっている。しかし、それでも敢えて国会周辺のデモを規制の法制をしようとする意図は何だろうか。

 自公政権は国民の知る権利を侵害する恐れの高い『特定秘密保護法』を制定してしまった。ある意味でこの国の国会議員たちは自分たちが民主主義の自殺を演じている、という実感もなく飛んでもない方向へ進んでいることに気付かないのだろうか。
 日本国憲法に定めるの民主主義下で最大の権限を与えられているのはいうまでもなく国会だ。国家の仕組みとして国会が最大の権限を掌握して政府や官僚たちを国民の代表の集まりにより構成される国会でコントロールされることになっている。しかしその国会が国民の知る権利や表現の自由を制限してどうするつもりだろうか。

 特定秘密保護法により、政治家や官僚たちはどんなに破廉恥なことを仕出かしても『赤信号みんなで渡れば怖くない』状態を創り出してしまった。今度は『不快な演説』や『不快な街頭デモ』を取り締まるという名目で、政治家たちや官僚にとっても『不快な演説』を取り締まることが出来るようになりかねない。
 その法規制の及ぶ範囲は街頭演説だけにとどまるとは思えない。ネット・テレビやネットのブログにまで拡大適用される恐れが十分にある。

 自由な表現を阻んで良いことは何もない。たとえそれが耳障りであっても、たとえそれが対外的に日本国家として不利益になろうとも、国民の表現の自由を制限して良いことは何もない。
 ヘイトスピーチを行う国民はそれなりの罰を受けることを覚悟の上で行っている。彼らは已むに已まれない思いで自己表現している。それを官権力で阻止して蓋をして、何が得られるというのだろうか。江戸時代ですら『直訴』は自らの命と引き換えに認められていた。ヘイトスピーチを行う者は自らの品格を犠牲にしてでも国民に訴えたいことがある、という意思をこの国の大人たちはなぜ汲み取ろうとしないのだろうか。

 ヘイトスピーチを処罰する法律はいくらでもある。名誉棄損や人権蹂躙など、ヘイトスピーチを受けたと認める相手が当事者を訴える途は現行法下でもある。ヘイトスピーチそのものを禁ずることにどれほどの合理的な理由があるというのだろうか。
 そもそも『表現の自由』を保障している憲法侵害にあたるのではないだろうか。この国の司法権を司る最高裁が骨抜きになって久しいが、政府や国会が暴走を繰り返している現在、司法権が沈黙を続けることが立憲主義を根底から覆すことになりはしないかと危惧せざるを得ない。

「気に食わないこと」に法律による蓋をしてはならない。国民の支持を得られなければ治世者が気に病むまでもなくあらゆる運動は終息する。ヘイトスピーチが国民の支持を得られなければ街頭行動は消えてなくなる。
 表現の自由を制定している現行憲法の深淵な意志こそ国会議員は認識すべきだ。皮相な現象にだけ囚われていては、後に拡大解釈されてネット上のブログや意見まで現在中国政府が自国民を監視・検閲しているようなことに日本がならないとも限らない。国会議員は安易に『アリの一穴』を官権力に与えてはならない。


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