顔芝居はアップがあればこそだが、

 かつて宇野重吉が演技について「普通であること」と述べている。宇野重吉といっても若い人には馴染みがないかも知れないが、寺尾聡の父親だといえば少しは分かるかもしれない。
 劇団民芸を創設して俳優や演出家として活躍した「役者」の第一人者だった。名役者との評価を得ていたが、彼の演技は淡々とした日常生活の延長のようであった。

 昨今は「顔芝居」の俳優が持て囃されている。『半沢直樹』というテレビドラマで歌舞伎さながらの「顔芝居」をアップで映し出し、緊迫感を視聴者に与えて評判をとった。
 しかし現実生活で『半沢直樹』のような顔芝居をすれば「どうかしたのか」と聞かれるのが関の山だろう。顔面アップの編集が出来ればこそ有効な顔芝居だ。

 舞台が主な演技の場だった宇野重吉にとって、顔面アップは望む術もない。観客から解る演技をするなら、顔芝居は無用ということだ。日常生活の断片を切り取った演技で観客を芝居に引き込まなければならない。
 そのために研鑽を積み、役者として演技に磨きをかけるのだ。顔芝居は全身の演技ではない。テレビや映画だけに通用する演技だ。

 政治家の演技が誰に相当するか、役者に置き換えて観察するのも一興ではないだろうか。


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