中国の民主化を願う。

 昨日6月4日で天安門事件から25年が経過した。民主化を求めて天安門広場に集まった学生たちを当事の政府は軍隊を動員し1万5千人ともいわれる死者を出して鎮圧した。それ以後、中国は厳しく民主化要求を抑え込み、現在でもネットなどを検閲下において言論の自由を抑圧し続けている。
 しかし香港では天安門事件25周年に向けて自由化を求めるデモが発生し、中国政府の統制に反対する動きは胎動を続けているようだ。基本的人権を無視し、人としての思想・信条の自由はもとより、政治に国民の意思を反映する仕組みを持たない大国の存在は近隣諸国にも大きな脅威となっている。

 かつて東西の壁が崩れて東ドイツが崩壊した大きな要因は西ドイツのテレビの視聴だったという。テレビ電波は国境を越え、思想統制をする当局の検閲もすり抜ける。そして外の自由な風を知った人たちは自国内の統制を窮屈に感じ始める。
 日本に留学などでやってきた中国人の多くは卒業後も国へ帰らないという。自由な風の中で暮らせばそこが異国であろうと、祖国でいかに反日教育を受けた『憎き国家』であろうと、日本で暮らした自由な日々を捨てることはできない。
 日本に来た中国人が最も恐れるのは中国人に出会うことだという。我が国で100万人の中国人が暮らしている。彼らが帰国し中国民に日本で知った自由を教えて欲しいと思う。自由とはどういうことで『主権在民』がどういうことなのかを日本で暮らした経験を元に中国民に教えて欲しい。

 どんなに非効率であろうと、時として愚かな政権が出来ようと、民主主義政治がどれほどすばらしいことか、中国民に教えるのは自由な民主主義に暮らした中国人の責務だ。日本で暮らす中国民100万人が帰国して中国民に自由とはいかなるものかを教えるだけで、その思想は大きなうねりとなって中国政府を突き動かす力になるだろう。
 突出した目立つ『民主化活動』は必要ない。日々の中で日本で暮らした経験を触れあう中国民にさりげなく教えればよい。主権在民とはいかなるものか、基本的人権とはいかなるものか、思想・信条の自由とはいかなるものか、それを知っているのは民主主義国家で暮らした経験のある君たちだ。

 日本は未だにマスメディアは数社の寡占新聞社などにより支配されて統制的な側面があって、決して自由な言論が存在しているとは思えないが、それでもこうしてマスメディアを批判するこのブログが他人によって削除されることはない。この国に存在する『統制しようとする勢力』の存在を指摘し、国民に警鐘を鳴らすことが出来るのも自由があればこそだ。
 自由は社会の進歩を促す。自由は服飾や持ち物の進歩を促す、そして自由は思想・信条の新しい展開を邪魔しない。国民の希望を無視する政策は排除され、国民生活を犠牲にする政策は遂行不可能になる。そして何よりも自由は軍隊のシビリアンコントロールをもたらす。隣国諸国と仲良くするにも捏造した『歴史』を自国民に強制することが不可能となり、社会科学も健全な進歩を始めるだろう。共産党一党独裁政治の害悪をこれ以上中国民は受け続け、甘受し忍耐しなければならない理由はどこにもない。25年前に天安門で命を落とした若者たちの無念さを今を生きる中国民は胸の中に蘇らさなければならない。


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