政治の猿芝居はたくさんだ。

 閣議決定を行うための与党協議の中で高村副総裁が示した三条件の文言に関して「国民の生命財産が根底から覆される恐れがある時には他国を共同して攻撃することが出来る」という文脈では拡大解釈される恐れがあるから、文言を変えるように公明党は求めているという。
 何のことはない、解釈改憲を与党協議で合意して閣議決定で強行しようとしている話し合いに過ぎない。公明党が文言を巡る条件闘争に入ったことから、妥協するのを前提にしていることが明らかになった。つまり与党協議というがガス抜きをするための時間稼ぎに猿芝居を演じているだけだ。

 そうした場合でも「国際紛争の解決に武力を使用しない」と憲法に定めている限り、どのように拡大解釈しようが自民党の高村氏が提起している『解釈改憲私案』は違憲であることに変わりない。それを閣議決定で行い、閣議決定に基づく施行法を国会に提出した段階で最高裁判所は行政と立法の暴走を止めるために『違憲立法審査権』を行使しなければ、この国が立憲主義に基づく国家から、内閣と与党による暴走国家に変貌するのを許すことになる。それはヒトラーのナチス政党が民主的にドイツを乗っ取ったのと全く同じ手法だ。

 この国の司法権は一度死んでいる。それは国内に軍事力たる米軍の駐留を許した段階だ。いわゆる『砂川判決』だ。それによりすべての戦力を放棄する、という憲法を米軍という傭兵なら問題ないだろう、日本国が保持するわけではないからという摩り替え理論を日本の司法当局は判決により認めた。
 それにより自衛隊創設も『自衛権まで縛るものではない』という拡大解釈により行政と立法が暴走したが、司法は沈黙というよりも容認を貫いてきた。いわば日本国憲法の番人として最高裁は全く役割を放棄している。日本は憲法に定める三権分立をとうの昔に放棄している。

 そしていよいよ司法の死亡宣言を行政府が高らかにすることを、与党協議という名の立法府の構成議員たちによる談合が堂々と行われている。
 日本が米国支配の戦後の頸木から脱却するには普通の国家になる必要がある。普通の国家とは国に普通の軍が存在し、国民が国防に主体と責任を持つ国家だ。そのためにはまず憲法を改正しなければならない。

 どのように拡大解釈しようと、どんなに詭弁を弄そうと、現行憲法の文言から集団的自衛権を引き出すのは種仕込みのあるマジックを使っても容認できるものではない。国民は憲法の定めるところに従うべきが立憲主義だ。いかに悪法といえども法は法だ。日本国民である限り日本国憲法に従うべきだ。
 私は集団的自衛権の議論などにウツツを抜かすよりも、憲法改正の手続きを進めるべきだと主張する。その中で全国に展開する米軍の撤退も含めて日米協議するべきだ。普通の国家の首都圏に外国軍が複数の基地を置いて、いつでも制圧できるように展開している国は世界の何処にもない。この異常事態を日本国民はいつまで放置するつもりだろうか。

 対等な日米同盟は対等な軍事基地展開により可能になる。日本の軍隊を米国が必要とするのは日本国内から米軍がすべて撤退すればこそだ。姑息な集団的自衛権議論で憲法改正を経ずして海外展開できるようにすることで、自衛隊を米軍の下働きの位置に貶めてはならない。
 あくまでも日本の国家と国民を守るための軍であって、米国の国益や米国の1%の利益のために奉仕する軍であってはならない。米国の軍事行動がすべて正しいわけではなかったし、これからもすべて正しいと誰が保証できるだろうか。安倍氏は「私が最高責任者だ」と大見栄を切ったが、彼は行政府の最高責任者であって、この国の主権者は国民だ。国民不在の解釈改憲をこの国のマスメディアは応援しているようだが、それは不見識の誹りを免れないものだ。いずれ歴史の審判が下されるだろう。その際に自ら命を絶った司法権に関して、最高裁判所は恥知らずな府であったと歴史によって裁かれるだろう。現在永田町で演じられている与党協議はまさしく違憲・脱法行為を企んでいる猿芝居に過ぎないと叱咤する言論人が不在なのもこの国の不幸だ。第三の権力といわれる言論界までも米国の軍事力の下に土下座しているかのようだ。


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