常識的な議論の原点に戻れ。

 大飯原発に関する福井地裁判決は常識的だったと小泉純一郎氏は評したようだ。全くその通りだ。単なる発電装置の一つに過ぎない原発に国民の生命と財産を委ねて良いはずはない。この国で大きな地震に出会う確率は宝くじに当たる確率より高い。宝くじのような射幸性の高い、生涯高額当選金を手にすることのない国民が殆どの『詐欺』に近い籤の販売を国が許可し、射幸性を煽る宣伝をテレビで流す方がどうかしている。宝くじよりも高い確率で大きな地震にあう確率の方が遥かに高いというのに、福一原発の放射能漏れ事故によって津波対策以外何も学習しないとしたら、国家としてこれほどの怠慢はないだろう。

 同じように、特殊的と考え過ぎて、議論が偏った方向へ特化しているのが年金だ。なぜ社会保障の一環としての『年金』をしっかりと捉えないのだろうか。
 社会保障とは行き過ぎた資本主義社会で起こった極端な格差を是正するために発生した社会主義の産物だ。19世紀のマルクス以前には存在しなかった概念で、いち早く産業革命を達成した英国で実際にあった極端な『自己責任』に基づく格差社会を是正するために採られた政策だ。

 それは『富の再配分』であり、『負担は応能で、支給は一律』というのが大原則だ。だから75才支給にすれば月々の支給金額を1.4倍にする、などという惚けた議論は起こりえないものだ。60才まで国が各企業に定年制を強いているのなら60才の定年後には生活『保障』としてすべての国民に一律に年金を支給すべきだ。
 60才以後も高額年収があっても支給すれば良い。そして年金も年収に(給与所得控除以前の金額として)合算して、課税すれば良い。さらに勤労者の平均年収を超える部分の年金は全額カットすることだ。子育て費も教育費も住宅ローン負担もない高齢者に高額所得を保障する必要はない。

 だから、年金は一律支給として高齢者の最低生活を支えるものであれば良い。つまり生活保護と同額の一律支給を行うべきだ。国民年金の暮らせない年金支給は『文化的にして最低限な暮らし』を保障するとした日本国憲法違反ではないだろうか。そして厚生年金の高額受給者や共済年金受給者たちは過剰な年金支給として、逓減減額を実施して生活保護並みの年金にすべての年金を一律化すべきだ。つまり社会保障とは社会主義の産物であり、一律平等が本筋だ。金額に差があり制度に様々な格差を設定している現行の年金制度そのものが間違っている。年金に税を投入しているからには年金を財産権として議論してはならない。

 さらに更に、120兆円あるとされている年金基金はここ20年ほどで使い切る制度設計にすべきだ。するとそれほど税の投入を年々増大しなくても対応できるだろう。
 20年後にはどうするのか。国民の出生率を2.07以上に上げていれば良い。少子化社会では何処まで行っても社会はダウンサイジングの連鎖に陥り、年金制度は必ず破綻する。国民人口をまずは維持する出生率に引き上げるのが国家として最大の政治課題と捉えるべきだ。移民だ、女性も働け、と政府が叫ぶのは異常事態ではないだろうか。専業主婦のどこがいけないというのだろうか。移民によって社会秩序が極端に不安定化しているスウェーデンの人口当たり殺人事件の異常な高さをこの国のマスメディアは一切報道しないが、移民政策がもたらした負のツケを欧州諸国はしっかり払わされている現実に日本の政治家は学ぶべきだ。

 何度でも繰り返す。社会保障は富の再配分であり、『負担は応能で、支給は一律』というのが大原則だ。よって消費税が社会保障費の財源に適しているなどというのは見当外れも甚だしい。そして年金に格差を設けている現行制度がおかしくないというのなら、医療保険の高額支払者は入院時に豪華個室を与えるべきで、手術や投薬も最優先にすべきだ。貧困層には貧困層だけが行ける格安病院を設定して、国庫負担がなるべく少ないように延命治療は一切行わず、病室も体育館のような大部屋にすれば良い。それが現行年金制度の理論ではないか。国民がそれを是とするならそれで良し、それではいけない、現行の一率平等医療の方が良いというのなら年金も一律平等にすべきだ。それが社会保障の本来のあり方だと、国民は再学習すべきだ。

 この国の社会も米国並みの1%対99%の戦いに突入している。1%の人たちが99%の人たちの労働力や富を収奪して、優雅なセレブ層を形成しようとしている。そのためには米国の言いなりになって、ハゲ鷹投資家達に都合のよい社会制度に改編する必要があり、竹中氏たちが先頭に立ってこの国の社会制度を破壊している。
 経済成長のためと理由をつけながら、彼らは日本が高度経済成長を果たした社会を徹底して破壊している。正社員が殆どだった社会は経済成長しない硬直的な社会だっただろうか。派遣業が特殊な高度専門分野に限定されていた社会が労働者にとって企業利益配分率の低い社会だっただろうか。政府や官僚や似非・御用評論家たちの嘘に誤魔化されてはならない。

 議論は原点に戻るべきだ。発電装置の一つに過ぎない原発に執着する必要は何もない。現在の国民と未来の国民にとって危険だと解れば廃炉にすれば良いだけだ。年金制度の支給時期をイジクルのは果たしてなぜなのか。天下り官僚たちは75才程度まで碌に仕事のない席を温めているだけで高額年俸を手に出来る。それなら年金に75才支給開始を選択したら高額年金を支給するようにしよう、というのが彼らの本音だ。それは国会議員にもいえるだろう。75才ほどまでは国会議員として暮らせるなら、それ以後に年金を受給すれば高額になるように制度を設計しておけば良いだろう。
 しかし年金は社会保障制度の一つだ。支給は一律が大原則だ。65才よりも遅らせる必要は何もないし、給与所得等と合算して勤労者の平均年収を超えたなら、超える部分の年金は全額カットすれば良い。それだけの話ではないだろうか。


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