日本は普通の国になるべきだが、憲法改正という手続きなしの「解釈改憲」には反対する。

 日本国憲法は世界の非常識「戦争放棄」を規定している。しかし、いかに非常識であろうと、いかに理不尽な規定であろうと、それが日本国憲法である限り日本国民は遵守する義務がある。
 その世界に冠たる非常識な「戦争放棄」の規定を憲法に明記したまま、集団的自衛権を「地域限定的」であろうと解釈により政府が実行可能にする、というのは立憲国家として恥ずべき行為だ。この場合、憲法の番人たる最高裁判所がこれまでと同様に沈黙を守り「違憲立法審査権」を放棄するなら、この国の基本原理たる「三権分立」は画餅に帰していると断定するしかない。

 明後日の五月三日は憲法記念日だ。国民の祝日として憲法制定を国民が喜ぶひだが、同時に憲法の存在をもう一度思い返し、立憲国家としてのあり方を振り返る日でもある。世界に戦力を保持しない国家は存在しないし、国家権力が一度も流血騒動の当事者にならなかった国家は世界にない。
 日本国憲法の壮大なる矛盾がそこにある。自分は血を流さないが、世界は平和であることを願うという。平和のための血は流さないが、平和の利益だけは享受する、というのでは世界のどの国も本気で日本と隊伍を組もうとはしないだろう。それで日本は世界の国々から信頼され世界に対して貢献できるだろうか。

 集団的自衛権は日本の悲願だ。自民党が地域限定だから「解釈改憲」で問題ないというのは、いかにも姑息な理屈だ。地域限定であろうと、世界のどこでも、であろうと集団的自衛権は必要だし、日本が独立国家である限り「軍隊の保持」は常識だ。
 日本国憲法がいかに非常識で、自己都合に満ちた恥ずべきものだという認識を日本国民が持たないというのは世界に対して恥ずべきだ。だがそれでも、解釈改憲による集団的自衛権の行使は立憲国家として自殺行為に等しい。世界に対して日本国民は憲法さえ無視する無原則な国だと思われるだけだ。一度失った信頼を取り戻すにはどれほど時間が掛かるか御存知だろうか。

 米国外遊中の石破氏もワシントンで「解釈改憲」により集団的自衛権講師を可能にする、と講演して米国政府要人の歓心を買ったようだ。彼らは「それは良いことだ」と拍手しながらも、心の中で「立憲主義」すら理解しない猿のような連中だ、と毒づいているのが解らないのだろうか。
 原理・原則を自己都合により放棄する政府では世界各国と真に友好関係を築くことは出来ない。日本国憲法を読めば日本政府の行動原理が理解できる、というのが国家としてあるべき姿だ。そこに屁理屈や言い訳を挟まなければならないというのでは姑息の謗りを免れない。解釈改憲などは断じてすべきではないし、違憲立法審査権をこの期に及んでも最高裁判所が発動しなければ日本の三権分立という国家権力の根本原理すら反故に帰したというべきだ。それは後進国そのものの姿だ。


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