それでも『国会議員』とは。

 記事を読んで驚いた。<三原氏は「東シナ海や南シナ海で軍事的覇権を求める中国や、核やミサイルで世界を恫喝する北朝鮮の存在は目に入らないのでしょうか。昨年1月には、日本人10人が犠牲になったアルジェリア人質拘束事件もありました。国際社会の現状を考えれば、『一国だけで平和は守れない』『国民の生命と財産を守るためには、集団的自衛権は必要だ』という結論に達するはずです」と憤懣を語った>そうだ。(以上『夕刊フジ』引用)
 誰でも選挙に当選すれば政治屋になれる。しかし政治家になれるかどうかはその人の資質と研鑽による。三原ジュン子氏が安倍首相の応援団員と化して国民的合意形成になりそうもない閣議決定による解釈改憲を後押ししようとするのは、むしろ贔屓の引き倒しになりかねない。

 解釈で戦争放棄憲法を「海外何処でも出前で戦争出来ます」憲法に変節させようとするのは余りに立憲主義を舐めていると言うしかない。憲法は時の権力者の暴走を抑えるために設けられた国民合意の決まりだ。
 日本国憲法は共産党の反対を除けば与野党合意の国会決議で決定された憲法だ。その唯一反対した共産党が『護憲政党』に変節し、先頭に立って賛成した自民党の首相が日本国憲法を骨抜きにして蔑ろにしようとしている。歴史の変遷とは面白いものだ。

 しかし、それでも憲法だ。立憲主義国家で憲法を蔑ろにすることは何人たりとも許されない。たとえ権力者が暴走しようともそれを許さない仕組みが国家には創ってある。日本には三権分立が確立され、首相といえども憲法に反する行為は最高裁判所で違憲審査権により断罪される、仕組みとされている。しかし最高裁判所は『砂川判決』により自ら頓死してしまった。
 時の最高裁判事は憲法の魂をイトも簡単に売り渡してしまった。あの判決を言い渡した時点で、戦争放棄第九条は骨抜きにされた。最悪の最高裁判事を日本国憲法は持ってしまった。だからいかに違憲判決が出ようと、国会議員たちは『ヘッ』とも思ってはいない。事実『違憲だが選挙結果は有効だ』という摩訶不思議な最高裁文学がこの国で流行している。

 しかし、憲法学者を引っ張り出すまでもなく、違憲は違憲だ。違憲の結果が合法なわけがない。そんな馬鹿なことを最高裁が言っているから、ついに安倍首相は『閣議決定で解釈改憲をする』と憲政主義とは相容れない独裁政治をやる気満々になっている。
 哀れなのは創価学会会員だ。公明党は自民党に対して『何処までも付いて行きます下駄の雪』だから、山口氏が四の五の言っているが所詮は時間稼ぎで、安倍氏に『ヘイコラ』付いてゆくのはミエミエだ。平和を掲げる宗教団体が戦争大好き米国の下請けを引き受ける国になることを確約する閣議にあなたたちの選出した国会議員が出席して署名する。

 宗教団体が認めた人物なら政治家としての資質がどうであれ、学識がどうであれ、当選できるのが民主主義の怖いところだ。だから憲法は『政教分離』を謳っているが、創価学会の信者たちは平然と踏み躙って政治活動に借り出され、嬉々として積極的に宗教周回や宗教施設で選挙協力している。
 三原ジュン子氏と大して資質の変わらない人たちが大量に当選して、立憲主義の何たるかも理解しないで大きな顔をして大口を叩く。この国は真に立憲主義の曲がり角に立っている。集団的自衛権は慎重に議論して施行法令をキチンと詰めて憲法改正を提起して国民の審判を仰ぐべきだ。そうした面倒な手続きを踏むのが立憲主義の所以だ。その手続きを省けば単なる独裁者に堕すことを安倍氏は知るべきだ。知らないのなら知恵ある側近こそがそれを彼に教えて嗜めるべきだ。本来なら国民の一人たる私が心配しなくても、憲法の番人たる最高裁が『違憲立法審査権』を発動すべきだが、彼らはトウの昔に毒饅頭を食べて無能者になっている。


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