DNAを運ぶ生命体として。

 一歳になる孫が熱を出したという。私の二人いる倅の下の子の孫だ。下の子は共稼ぎのため、孫が熱を出したりすると私たちジジ・ババが預かることになる。
 今のところ上の倅のところに一人の子がいて、下の倅のところに二人の子がいる。私は都合三人の孫に恵まれた果報者だ。果報者にはそれなりに果報者としての義務があるものだ。その一つが孫が病気になった折に面倒を見ることであり、倅夫婦がコンサートなどへ出かける際に孫の世話を言い付かることだ。

 それらは決して楽しいことばかりではない。赤ン坊の孫は時として理不尽に泣いたりするし、腹が減ったといって泣いたりするし、オムツが汚れたといって換えろと泣いたりする。
 しかし、そうした強制的であれ能動的であれ、孫との触れ合いにより愛情は確実に深まる。と同時に、小さな生命体に過ぎない孫にしっかりとした個性を見つけたとき、なんともいわれない歓喜に満たされる。ああ、こいつも一人の人物なのだ、という感慨に満たされる。

 明日、一番下の孫の面倒を見なければならない。もはや離乳食に頭を悩ませることはないが、彼には卵アレルギーがあることが判明している。昼餉に何を用意しようか、デザートやお八つやに何を用意しようかと、わが子の時にはそれほど悩ませたことのない頭脳を働かせる。やはり孫はかわいい。わが命が平均余命からいっても後二十年もないと判明しているかにこそ、その後も生き続けるであろう孫が愛おしい。

 私の祖先ではっきりと存在が判明している人物は私から遡ること4代前までだ。天保時代に生まれた彼は郷里に顕彰碑として残っている。三代前は慶応2年の生まれだが、私とは面識はない。二代前は祖父で、明治28年生まれで日露戦争に少年兵として出征している。当然生前の彼と私は面識がある。
 私の父は大正9年生まれで大戦に勇敢な日本兵として出征した。彼は生前毎年の正月に靖国神社へ「戦友に会いに行く」といって参拝を欠かさなかった。その父も鬼籍に入って10年たった。

 いま私はジイジと呼ばれる年齢に達した。「ジイジと遊ぶの、ウン遊ぶ遊ぶ」というCMを見て、思わず自分の姿を重ね合わせる。つくづく果報者だと思う。ありがたいことだ。
 この日本を連綿と日本国民に残さなければならない。日本人としてDNAを運ぶ生命体として、その役目を終えて、次々世代に日本国民としての在り方を幾許かでも遺せたらと願う。


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