なし崩しは無原則に繋がる。

 維新の会も集団的自衛権を容認すると発表した。これで自民党は勢いづき、今国会で「解釈改憲」による集団的自衛権を容認することを決めるようだ。しかし集団的自衛権は現憲法をどのように読んでも『合憲』とは云えず、戦争放棄を明言した憲法違反の恐れが強い。
 日本が憲政国家を標榜するのであるなら、憲法を守る国でなければならない。その憲法が現実を無視した空想的理想論の代物なら、憲法をまず改めるのが先決だ。憲法をどのように改めるのかを各政党は国民に提示して国民の信を問うべきだ。

 数を頼りになし崩しに物事を進めるのは民主主義の最悪の姿だ。数さえ集めれば何事も多数派の言いなりになる、というのでは多数派による全体主義に他ならない。
 民主主義は手続きの制度ともいわれる。まず正統な手続きを踏んで、そのために議論して全体の合意を形成する努力を積み上げて改革すべきだ。集団的自衛権は現代国際社会で極めて当たり前な軍隊の在り方だが、そもそも日本国憲法には軍隊を保持するとは書かれていない。そこが根本的な現憲法の欠陥だが、欠陥のある憲法を受け容れている、という認識に立って正式な手続きにより憲法を改正すべきだ。

 なし崩しは良くない。一昨年の『三党合意』で消費増税は社会保障の改革と一体のものだと説明されていた。しかし消費増税はなされたが、社会保障改革の議論は一向に進まないばかりか、消費増税により社会保障の国民負担が軽減されるどころか負担は以前にも増して増大している。
 それも『貧困層』に重い負担が課されている。70歳以上は医療費2割負担、というとすべての人に対して自己負担が増えるのだから問題ない、と思っている人は富裕層の人たちだ。貧困層は1割負担でも四苦八苦しているのに2割負担が続くとなれば医療施設に足を運ぶ回数を軽減するしかなくなる。

 国会の選挙制度改革もなし崩しに小手先の改正でお茶を濁されそうだ。それも裁判所の「違憲だが選挙結果は有効」という支離滅裂な国会と現状への配慮が『なし崩し』を勢いづかせている。
 違憲の選挙制度で実施した選挙は無効とされるのが当然だ。しかしこの国の裁判所は『違憲判断』を羽毛よりも軽いものに貶めてしまった。これでは国会が『集団的自衛権』を容認しても、最高裁判所は『違憲立法審査権』を発動して国会議員を懲らしめることは出来ない。憲法の番人は自ら自害したといっても良いだろう。

 国民は先の選挙で『無原則』に憲法改正する連中を大量に当選させてしまった。無原則な連中は数を頼みに何をしでかすか解ったものではない。いや、2009総選挙で少数派に転落しても、2009マニフェストで民主党が国民に約束した『子供手当』や『高速道路無料化』などを反日マスメディアとタッグチームを組んで反故にしてしまった。
 未来への投資『子供手当』を破棄し、一般道路と何も変わらない、ただ建設時に道路公団の別勘定として国から借金して造った『高速道路』を国民の財とはしないで、国交省官僚の天下り先利権とし続ける策動に国民までも惑わされている。曰く「高速道路の借金返済に料金は必要だ」、曰く「国から高速道路に税金を毎年入れている」などという高速道路を別勘定に放置していたいがための言い訳だ。
 しかし国の借金に道路公団の借金50兆円も含まれている。国から高速道路会社へ繰り入れているのは高速道路を走っている自動車の揮発油税相当部分で当たり前のこと、で何も国から特別に助成しているわけではない。高速道路の借金は高速道路会計と財務省の国の借金説明資料とで二重にカウントされて、国の財政状態が悪いというレトリックに使われている。首都圏や大都市圏はいざ知らず、地方の高速道路無料化は悲願だ。それが実現すれば生活道路を爆走する大型トラックの殆どが高速道路へ回るだろう。近場の観光地が潤うのも間違いない。そうした国民の安全と経済効果の大きな高速道路無料化を国交省官僚の天下り先利権の存続を図るためだけに様々な理屈をつけて反故にしてしまった。なぜ国民的な議論の俎上に載せなかったのだろうか。

 なし崩しは良くない。いかに数がいようと、憲政の話をみんなで渡れば怖くない、とばかりに番人がさぼってばかりだから平気だ、というのは頂けない。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。