「首相の方針に従って仕事をする」のなら内閣法制局は不要だ。

 内閣法制局はいわば行政に対する憲法の番人だ。その仕事は内閣が国会に提案する様々な法律が他の法律と相反するものでないかと法体系の整合性を図ると同時に、憲法に抵触しないかを判断する部署でもある。
 昨日の参議院予算委員会で安倍首相の「私が最高責任者だから、私が憲法解釈をして集団的自衛権を認めて何が悪い」という国会での答弁を内閣法制局長官に問いただした際の「首相の方針に従う」との答弁は頂けない。それなら内閣法制局は存在意義を失いかねない。

 行政が執行する様々な権限は法律に基づき、その法律は憲法の規定から逸脱してはならないのは当たり前のことだ。行政執行権の最高権能者たる首相の答弁や内閣が国会へ提出する法案が憲法に抵触しないかを事前に慎重に検討するのが内閣法制局だ。その長官が首相の方針に従うべきか憲法に従うべきかは誰が考えても解り切った常識ではないだろうか。
 それにしても政府提案に対して国会は余りにも自由奔放に過ぎる。その最たるものが年金の支給時期の引き上げだ。民間の保険会社が年金保険の支給開始時期を勝手に5年ほど引き上げたら契約違反で経営者たちは罪に問われる。明確な刑事詐欺事件が構成される。

 他にも電力会社の「総括原価主義」という企業会計原則を無視した原価計算基準を適用して電力会社の経営を歪めている事実も法律と経産省のお墨付きがなければ有価証券取引法に抵触するのではないだろうか。しかしそう定めた法律そのものの正当性を会計学者たちの誰一人として問わないのは摩訶不思議でならない。
 そもそも公会計がすべて大福帳会計なのも企業会計原則をすべての公的会計に適用としない官僚たちの在り方も罪に問われてしかるべきだ。すべての公的会計情報を開示し国民に解り易く提示するのは官僚たちの義務であるはずだ。だが彼らは頑として会計方式を改めようとしない。ただ小手先でB/Sを作ってみせるが、それは会計原則に基づくものではなく総額主義の原則に則っていない誤魔化しの類のものでしかない。

 行政監査にしても会計検査院が行うに止め、上場民間企業に定められている外部監査法人による監査とはほど遠いといわざるを得ない。いわば身内が監査して内々で済ましているのではないかとの疑念が常に付きまとう。
 内閣法制局も単に内閣が法案を国会に提出する前に他の法律と矛盾しないかなどの検討だけをするのなら余りに権能ない機械的な部署ではないだろうか。その長官が「首相の方針に従って仕事をする」と答弁するに到っては「首相のポチだ」と批判されてもワンと吠えるしかないだろう。

 この国の官僚たちはいつの間にか保身と地位の墨守を最優先し、この国のありようを縁の下から支えているという矜持が失われて久しい。会計検査院が複式簿記導入を提唱しないのなら直ちに廃止して外部監査法人に丸投げした方が遥かにコストパフォーマンスが良いだろう。
 民間企業労働者の平均賃金が下がり続けても公務員給与を上げ続けるしか能のない人事院なども即座に廃止して、労働三権を聖域なく公務員すべてに与えて、すべての自治体や国は人事や待遇の決定をガラス張りの団体交渉で行うべきだ。お手盛りは許されないし、そのような財政状況ではないだろう。なぜなら国民にこの四月から世界で最高税率の消費税を生活必需品にあまねく課税しようとしているのだから。
 そうした広汎なものの見方をするなら、官僚たちは余りに矮小化された存在でしかないことは明白だ。内閣法制局長官が「首相の番犬ではないか」と批判されて気色ばむ必要はない、まさしくその通りではないか。


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