「2020カジノ構想」には驚きだ。

 2020年の東京五輪までにカジノを東京に設ける運動を行っている人たちがいることにまず驚いた。そして全国各地に理由と動機は異なれどもカジノを求める地域があることにも驚いた。
 カジノを求める人たちは異口同音に「おもてなし」だとか「地域活性化の核とする」だとか発言しているが、それらの地域がカジノによって活性化したとして、地域の人たちは本当に喜ぶのだろうか。

 いうまでもなくカジノとは博奕場だ。欲と射幸心の塊で一瞬の偶然にカネを賭ける。それがどれほど精神の荒廃をもたらすか、日本が先進諸国の中でもギャンブル依存性の人たちの割合が飛び抜けて高いのを御存知だろうか。その原因はいうまでもないパチンコだ。パチンコが景品買いを通して立派な「ギャンブル」であることはこの国の常識だ。パチンコが遊びだという人は皆無のはずだが、それでも警察による手入れがされず、この国は既にギャンブル天国の様相を呈している。

 それでギャンブル依存症が5.6%と先進諸国では飛び抜けて高い。この国は法治国家のはずだが、現実はこの有様だ。パチンコはギャンブルだという常識にも関わらず、パチンコをしていて警察に逮捕された人がいたという話は寡聞にして知らない。
 警察とパチンコ業者との癒着はミエミエだが、カジノを法で認可してどのように取り締まるというのだろうか。いやギャンブルだからカネを賭けて博奕に興じる、というのなら、それの何処が「おもてなし」だというのだろうか。

 古来、ギャンブルで儲けて財を成したという人を知らない。ギャンブルの胴元はテラ銭を掠め取って設けるだろうが、ギャンブルに興じる人たちは身ぐるみ剥ぎ取られるのが相場だ。
 一番驚いたのは東日本の復興にカジノを誘致しようとする人たちがいるということだ。何という恥知らずだろうか。復興という美名の下で博奕を振興するとは「羊頭狗肉」も甚だしい。博奕は若者の勤労精神を阻害し、マトモな価値観を否定する。一瞬の丁・半にカネを賭けるとは浅薄な人生観を涵養するだけだ。止めた方が良い。

 2020年までにお台場にカジノを設けたいと切望している東京人たちは先人に何と言い訳をするつもりだろうか。江戸時代、博奕は御法度だった。この幕府の御膝元でカジノを開設しようと画策しているとは何という罰当たりだろうか。
 それよりも若者たちにマトモな職場を提供すべくUターン投資減税を推進すべきだ。年寄りなら一晩で有り金すべてをスッても死ねば良いだろう。しかし若者には愛する人と所帯を持ち、家庭を築き次世代の子供を育てるという数十年に亘る責務がある。それを蔑ろにするような博奕場の設置に狂奔する大人たちはバカ者そのものだ。何処のカジノであろうと、断じてカジノ構想に反対する。


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