橋下氏の突撃は見当外れのドンキホーテだ。

 大阪府を大阪都に改編して二重行政を排して行政経費の削減を実施する、というのが橋下氏の主張する大阪都構想の眼目だという。そのための執行部提案の区編成案が市議会で否決されたため橋下氏の怒りが爆発したというのだ。
 結果として橋下氏は執行部案を否決した市議会を解散するのではなく、市長が辞職して有権者の民意を問うというのだ。何とも乱暴な話のようだが、大阪都構想が実現すれば大阪市議会は消滅することになる。つまり大阪市議にとっては市議としての職を失うことを決める重い判断を迫られている。

 行政の無駄を排除するということは裏側から見れば無駄によって潤っている人たちの既得権益をなくすことだ。口先では「二重行政の無駄を排除する」というキレイ事を言いながら、実態は既得権益を死守するというのでは「羊頭狗肉」政治家そのものではないだろうか。
 橋下氏だけを悪者にしているマスメディアには賛成できないが、自分の思いを達成するためには何が何でも突っ走る、という手法も褒められたものではない。なぜより多くの人たちを説得して回らないのだろうか。議員をではなく地域住民説明会は十分になされたのだろうか。市長の出直し選挙で6億円が必要だというから、それだけの経費を使って市民に広報活動を行った方がどれほど良いかを考えるべきだ。

 劇場型、というのは激しく檄した人がマスメディアを巻きこんで有権者を激情に感染させる選挙手法だが、橋下氏の激情に大阪市民が感染しなければ、年老いた馬に跨り見当違いの勘違いへと闇雲に突っ込むドンキホーテと何ら変わらない。単なる自己満足に終わるだけで、それが市長ならこの年度末を控えて新年度予算や補正予算措置はどうなるのかと大阪市のことながら心配になる。
 しかし、そのような激情型の人物に拍手喝さいを浴びせて市長に選んだのも大阪市民だ。民主主義とはあらゆる責任は最終的に有権者の責に帰す制度だ。大阪市民は以て瞑すべきだろう。

 長年、都道府県は国と市町村との間に挟まる「中二階」のようなものだといわれて来た。中二階だから必要ないとはいわないが、なくても別に困ることはないといわれて来た。しかし、だからといって明治維新以来この国は地方行政の在り方を改めようとしてこなかった。既に制度疲労を起こしているのは誰の目にも明らかだが、それぞれのセクションに官僚や議員が群がっていて、根本的な改編を妨げている。
 これほど高速交通とITが発達した世の中に激変したにも拘らず、明治維新以来の国家と地方政治の在り方を踏襲し続けている必然性は何だろうか。これほど非効率な制度を温存している民間企業があるとしたらとっくの昔に企業運営経費が嵩んで倒産しているだろう。しかし国や地方自治体は赤字債権を印刷し続けて垂れ流しつつ、税を上げて国民からカネを巻き上げようとしている。何んともフザケた連中だ。

 橋下氏の大阪都構想は頓挫するだろう。なぜなら国を巻き込んだ運動でないからだ。激情型の人物が一人で檜舞台に立って、勝手に喚いているだけだからだ。なぜ広範な国民運動を全国規模で興そうとしないのだろうか。
 大阪都構想は道州制再編策の中の一つでなければ意味がない。さもなくば大阪市議だけがワリを食わされると反対するのは明らかだ。彼らだって人の子で、月額80万円以上の報酬を反故に出来るほど人格が練れていないだろうし、欲に淡々とした人たちばかりでもないだろう。議員が家業で生活がかかっていれば尚更だ。

 まず第一番に道州制や大阪都構想を議論すべきは国会議員であるべきだ。かれらが国会で国の形を示さずして、地方議会が行政機構の改編の部分的な絵を描くのを許していること自体が恥ずべきではないだろうか。
 それでなくとも憲法違反の選挙制度改革さえ手付かず状態なのはどういうことだろうか。先の解散総選挙で安倍氏は選挙制度改革を約束していたはずだ。この体たらくでアベノミクスとだけ叫んで「政治は結果だ」と決め顔をしているバカな宰相はこの寒波の中に橋下氏と並んで立って、少しは頭を冷やしてはどうだろうか。


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