憲法25条に記されている「生存権」とは

 少し過去のことだが大阪で元社長令嬢が餓死しているのが見つかったことがある。<電気、ガス、水道が止められ、冷蔵庫にはマヨネーズなどの空容器のみ……。そんな大阪市の団地の一室で昨年11月中旬、31歳の女性の遺体が発見された。死因は餓死か衰弱死とみられ、死後1~2カ月経っていたという。>(以上「産経新聞」引用)
 憲法を持ち出して大上段に構えるまでもなく、社会制度の一環に生活保護制度があるのは誰もが知っている。しかし若い人が暮らしに困窮して窓口を訪れても、『まだ若いから働きなさい』『親族に扶養してもらいなさい』『ホームレスは生活保護を受けられません』『住所がないからダメです』『他の制度を利用してください』などと告げられ、追い返されるケースが後を絶たないという。しかし窓口の職員が上記のような理由を並べ立てて申請を拒否するのは違法行為だ。

 これほど豊かな国で餓死者が出ることが驚きだが、かつて彼らが行政の窓口を訪れていたという事実には愕然とする。上記の31歳女性も一度行政の窓口を訪れて「貯金がある」ことを理由に生活保護の申請を拒否されている。
 だが行政窓口の担当者がその後に調査のために女性の許を訪れたことはなかったようだ。絶えず行政というか官庁にはこうした御上目線があるように感じられて腹立たしい。国民が存在しているから公務員も存在出来ている、という仕組みをなぜ彼らは理解していないのだろうか。これが民間の保険会社などなら一度支店窓口を訪れた加入希望者の家を頼まれなくても訪問するだろう。

 社会保障制度は「負担は応能で、支給は一律」というのが大原則だ。窓口を訪れた声の小さな人は無視し、声の大きな人には申請を認め支給しているというのでは行政の吏員たる資格はない。生活保護の申請受付は相手の属性で判断するのではなく、相手が置かれている状況で判断すべきなのはいうまでもない。
 年金制度も加入していた年金制度や掛け金の多寡で支給年金を差別して良いという理屈は何処にもない。しかし現実は国民年金制度加入者と共済年金加入者とでは支給年金額に雲泥の差がある。国民年金の平均支給額は一人月額5.5万円だが共済年金の平均支給額は月額32万円だ。これが「社会保障」だろうか。むしろ公務員お手盛り生涯保障と呼ぶべきではないだろうか。

 40年間一ヶ月もかけずに掛け金を支払っても月額6.7万円しか手に出来ない暮らせない国民年金を放置しているこの国の政治は憲法25条に反している。国民年金受給者は団結して裁判所に「国民年金違憲」判断を仰いで提訴してはどうだろうか。若い人の生活困窮者を放置する行政も問題だが、国民年金という制度的に暮らせない困窮高齢者を創出し放置し続けるこの国の政治家たちや裁判所はもっと問題ではないだろうか。
 そして年金問題は老人と若者の世代間対立だとの構図を描いて対立を煽るマスメディアは年金問題を放置して恵まれた共済年金を温存したい官僚たちの走狗に他ならない。なぜなら若者もいつの日にか必ず年老いて年金受給年齢に達する。つまり年金問題は国民すべての問題だからだ。


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