「論戦不発 首都の陣」(1/27読売新聞3面)に異を唱える。

 さも特定の都知事候補が「論戦」を避けているために都知事選挙が盛り上がりに欠けるかのような本日付の読売新聞の記事に異を唱えたい。確かに青年会議所主催による立候補予定者の「立会演説会」が候補者の都合により流れたが、そもそも立会演説会は公職選挙法で禁じられていることを御存知だろうか。
 かつて立会演説会は選挙の華だった。立候補者が一堂に会して丁々発止と議論を戦わすのは一種の見せ場ですらあった。世界的にもニクソンとケネディのテレビ演説会は語り草になっている。しかし、現在では公職選挙法で禁じられている。

 もしも立会演説会を実施するのであれば、すべての候補に対して平等な時間配分と平等な弁論の機会を与えなければならない。聴衆も後援会などで動員してやじったり気勢を上げたりしてはならない。司会者も特定の議題に偏った議事運営をしてはならない。もちろん特定の候補者を糾弾する場にしてもならない。
 そもそもむ選挙における平等とは一体何だろうか。それは機会の平等なのだろうか。
 青年会議所が開催を目論んでいた「立会演説会」は今回立候補したすべての候補者に出席をお願いしていたのだろうか。そうでなかったとしたら公職選挙法に抵触する恐れがある。

 日本の公職選挙法はかなり歪で非常識なものになっている。街の景観を損ねるポスターの陣取り合戦さながらの掲示にはいささかうんざりする。電話で投票を勧誘するのを報酬を支払った電話嬢が行ってはならないことになっている。すべてはボランティアでやっていることになっている。
 公費負担で街宣車の運転手の報酬は支払われるが、ウグイス嬢の報酬は後援会の自腹だ。候補者が単独で公共施設を借用して演説会を開催するのは自由だが、候補者の何人かを集めて立会演説会を実施するのは禁じられている。

 「論戦不発 首都の陣」と称する記事を欠く紙面があるのなら、なぜ選挙管理委員会が取り纏めている立候補者の政策などを掲載している選挙公報を新聞紙上に掲載する許可を取るなりの手立てを講じないのだろうか。
 読売新聞の「論戦不発 首都の陣」はさも特定の候補者は特定のシングルイッシューしか主張していないかのような情報操作をしているとしか思えない。読売新聞の記者諸君はその候補者の街頭演説に耳を傾けてみるが良い。彼はシングルイッシューしか語っていないことは決してないと解るだろう。

 むしろ応援演説を行っている人物が「他の政策は誰が都知事になってもやらざるを得ない政策なのだ」という方が正しいだろう。消費増税に見合うべく都民税を引き下げるなどと意味不明なことをのたまう人までいるが、福祉政策や待機児童解消は国政の一環として都が独自に実行できる範囲は限定的だ。
 むしろ今回の都知事選挙は一地方自治体といえども首都の長が国政に異を唱えることになるかもしれないという、緊張感に満ちたものであることをマスメディアは報道すべきだ。「地方の自立」とマスメディアは散々煽って来たことを都知事候補が実際に選挙で初めて主張し始めたら「国政マターで都政に馴染まない」などと異なことを喚きだした。それこそ自由な論戦を掲げるマスメディアの自殺行為ではないだろうか。うがった見方をすれば読売新聞が特定の候補者を批判するかのような記事を3面の大見出しで行わなければならないほど、その候補者の支持の風が日毎に風速を増しているということではないだろうか。


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