「脱原発」転換に本性を現した自公政権。

 次々と先の選挙で国民に説明していなかった日本版NSCの設定や特定秘密保護法を強行したと思ったら、今度は「脱原発」からの転換を年明けの閣議で決めるという。
 先の総選挙や参議院選挙では「時間はかかるが脱原発」だと安倍自民党は有権者に訴えた。山口県知事選挙で自民党から出た候補者も「脱原発」らしき公約を掲げて脱原発を強く訴えた飯田候補を退けた。しかし山口県知事は未だに中電が原発建設を予定している上ノ関町にかつて与えた「公有水面埋め立て」の許可を取り消すとは宣言しないで有耶無耶のうちに判断を引き延ばしている。あたかも福一原発放射能漏れ事故に対する批判の嵐が過ぎ去るのを待っている自公政権の姿勢に追従するかのようだ。

 安倍政権はついに本性を現した。「日本を取り戻す」とは「日本官僚の利権を取り戻す」ということだったようだ。いや、取り戻すどころか官僚利権の増強と拡大を図っている。
 また彼の言う「美しい日本」とは迷彩色に彩られた軍隊服の色彩であるかのようだ。政権獲得以降の安倍政権が優先している国会の決議事項を並べてみると、大正デモクラシーを終焉させこの国の自由を制限して国民を戦争へと追いやった昭和初期の法整備と全く軌を一にしている。

 そしてついに「脱原発」の転換だ。安倍氏は「エンシェントレジュームからの脱却」を一次安倍政権時に掲げていたが、現在安倍氏がやっていることは「旧体制の復活」そのものではないだろうか。
 情報公開は時代の要請と同時に、民主主義を支える基本理念だ。国民が選挙で投票先を判断する情報を隠蔽して、御用マスメディアを使って誘導報道を繰り返せばいかようにもこの国を操ることが出来るだろう。

 安倍政権の高い支持率がその顕著な表れだ。アベノミクスという実態のない、政治家による政治ではなく官邸に屈服した日銀による「異次元金融緩和」による円の大量供給で円安へと導く金融策のみがあるだけだ。
 安倍政治は大盤振る舞いの公共事業以外にはまだ何もしていない。その大盤振る舞いの公共事業も旧体制の元請けと下請けにより粗利はピン撥ねされ、建設作業員の懐を潤していないのが現状だ。しかも過度な公共事業の過発注により入札不成立が各地で起こっていて、建設資材の高騰や工事価格の高騰を招いている。そうした歪みをこの国のマスメディアは殆ど報道しないで、泡のような株価高騰を囃し立てている。

 脱原発は世界的に深刻な放射能汚染を及ぼしている福一原発事故を起こした日本の人類に対する責務だ。今後いかにして廃炉するのか、工程すら見当がつかない、核燃料が溶解した原子炉からいかにして核燃料を取りだすのかを公募したほどお手上げ状態にあるにも拘らず、汚染水は「完全にブロックされ、完全にコントロールされている」と五輪誘致の国際会議で安倍首相は恥ずかしげもなく世紀の大嘘を吐いた。
 嘘吐きは泥棒の始まりだ、と母は子供の私にうるさいほど教え込んでいた。安倍氏の母親は元首相・岸信介氏の娘だが、彼女は家庭教育で「嘘吐きは泥棒の始まりだ」とは教えなかったのだろうか。

「脱原発」の転換に反対する。年明けの閣議で新規原発建設を容認するのではないかとしている安倍政権の動きにも強く反対する。
 日本は国家の威信をかけて、まずは福一原発の事故処理に全力を挙げることだ。まだ事故原因の詳細どころか、原子炉の状況すら何も解っていない段階で「原子力規制委員会」が原発再稼働を容認するとは正気かと委員各位に問いただしたい。彼らも旧体制の小僧の集まりでしかないのかと、委員各位の面を眺めるしかない。

 民主主義ではすべての政治的責任は国民に帰属する。しかし情報は官僚たちが「特定秘密」だと指定すれば国民に帰属させないで最大60年間秘匿できる、という。官僚ほど無責任で楽な仕事は世の中にないだろう。
 本来なら官僚たちを使って仕事をするのが政治家の役目だが、官僚に使われて彼らのための法整備をしている安倍政権を見ていると、「国民の生活が第一」の政策を放棄した民主党の罪の大きさと、民主党叩きに狂奔したマスメディアの罪の大きさに溜息が出る。それでも政治の果実はなんであれ国民の上に降りかかって来るのだ。盲目的な安倍氏万歳の連中は拍手喝采しているのだろうが、戦前の日本にもそうした薄っぺらな「愛国者」モドキがうじゃうじゃいたようだ。


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