社会は性善説で成り立っている。

 高速道路に自転車などを投げ込んだ事件で少年たちが逮捕されたようだ。時事通信社によると< 高速道路を走行中の車を目がけて自転車を投げ落としたとして、兵庫県警捜査1課などは5日までに、殺人未遂容疑で県内に住む16〜19歳の少年4人を逮捕した。3人は容疑を認め、「悪ふざけでやった」などと供述。1人は「やっていない」と否認しているという>(以上「時事通信社」引用)
 この社会は性善説で成り立っている。だから高速道路を跨ぐ陸橋に高い防護柵などは設置されてなく、もちろん防犯カメラなどの監視もされていない。自転車を高速道路を跨ぐ陸橋から投げ込もととすれば、少年たちは易々と犯罪を遂行できる。

 この手の犯罪を防ごうとすれば膨大な予算が必要となる。同様な犯罪が成立するケースは無数に考えられるだろう。たとえば在来線などの列車運行妨害や、夜間の道路上に細引きや針金などを張って自転車やバイク運転者などを狙う犯罪だ。
 日本の社会はこうした犯罪を国民は犯さないとの前提に立っている。つまり性善説の社会だ。だから自転車を高速道路に投げ込む少年が出現すると仰天動地の驚きを覚える。日本は性悪説の社会に立ち向かう飛んでもない高コスト社会にならざるを得ないのかと、暗澹たる思いにならざるを得ない。

 高速で疾走している自動車運転手は落下して来る自転車を避けることは出来ない。いや、むしろ避けようとして急ハンドルを切る方が甚大な事故を誘発危険性すらある。死を覚悟して落下して来る自転車に突撃しなければならないとしたら、その恐怖心は想像を絶する。少年たちには厳罰を以て臨むべきはいうまでもない。
 しかし世の中に悪戯と犯罪の境目を識別できない少年たちや大人たちが増えているのはなぜだろうか。つい先日まで「ゆとり教育」と称して個性的なるものを伸ばす教育を賛美し、他人と異なることを「個性」だと勘違いしていた時代があった。それが間違いの元凶だったような気がする。

 人は生まれながらにして人ではない。もちろん生物学的には生まれながらにヒトだが、成長の段階に応じてそれぞれの社会性を身につけてヒトは一人前の人になっていく。
 社会性を身につけるとはこの国の社会はみんなで作り支えている、という自覚を持ち作り手側に回る訓練を積むことだ。そうした訓練もなく様々に仕組みや約束事で成り立っている社会で勝手我儘に暴れては社会性を乱す行為以外の何物でもない。そうした不完全な人は当然この国の社会から排除し、適切な訓練を叩きこんで社会性を身につけさせるしかないだろう。

 我儘と個性とは全くの別物だ。個人的な楽しみが社会性を破壊するとすればその楽しみは個性ではなく単なる我儘ということになる。
 この国の社会はいまを生きる国民だけのものではない。次の世代に受け渡すほんの短い間だけ、前の世代かに預かった「預かりもの」に過ぎない。それを我らの時代で傷付けてはならない。無形文化財を扱う心掛けで、現在の日本の一日一日を過ごそうではないか。


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