情報公開は時代の要請だ。

 米国NSAの情報を公開したとして米国当局から国際指名手配されているスノーデン氏は情報公開したことに関して「社会を変えたかったのではなく、社会が変わろうとすべきか自ら決める機会を与えたかった」などと語った。ロイター(12月24日)
 安倍政権は特定秘密保護法を成立させたが、現行の公務員守秘義務では何がいけなかったのかを明らかにしなければならない。そして「特定」秘密保護法の公開を最長60年とした、生存し社会的に活躍している人たちがほぼこの世から消え去った後の公開を指定した意味とは何かを説明すべきだ。

 もしかすると特定秘密保護法は国家や国民を守るためではなく、薄汚い政権や国民に背を向けた国家権力などの利権構造を守るために設けたのではないかと疑念を抱く。そうでないなら国家の中枢で活躍した当事者たちが生存して責任を取り得る期間内にすべての情報を原則公開、とすべきだ。
 責任を取る必要のない権力は絶対的に腐敗する。たとえば報告する義務のなかった都道府県会議員たちの「政務調査費」がどれほどいい加減な使途に冗費されていたか、今からでも子細に各都道府県は調査すべきだ。同様に「官房機密費」はなぜか使途を公開する必要がないとされているため、そのカネの支出を巡って胡散臭い話がゴマンとある。そしてなぜか年間12億円とされている官房機密費は政権交代時には残金がゼロになっているという。

 スノーデン氏の善悪の吟味は措くとしても、彼の言葉は意味深ではないだろうか。「社会を変えたかったのではなく、社会が変わろうとすべきか自ら決める機会を与えたかった」というのは情報公開の精神として正しい。情報を特定秘密として国民の耳目を覆い隠して権力者たちが国民の税を使ってコソコソと蠢いて素知らぬ顔をするとはいかなる精神構造をしているのだろうか。
 民主主義国家ではすべての責任は国民に降りかかって来る。治世者たちは国民から選挙で選ばれ国民の負託を受けて権力を行使する、という仕組みになっている。しかし実態は霞ヶ関に巣食っている官僚たちが勝手にこの国の舵取りをして、政治家たちまでお客さんとして国家という船の貴賓席に祭り上げてしまっている。しかし真に国民の代表者たちが政治を主導して執り行うのなら、首相官邸は霞ヶ関の中央にあるべきだ。霞ヶ関をヘイゲして、官僚たちを督励して選挙の際に国民に示したマニフェストを実行すべく目を光らせる存在でなければならない。そこにはいかなる「特定」秘密も存在してはならない。すべての責任が国民に降りかかって来るのならすべての権力も国民に帰属させるべきだ。その仕組みとして情報は公開され、スノーデン氏の言葉通りに「社会が変わろうとすべきか自ら決める機会を与える」べきなのだ。

 この国のマスメディアはそうした意味で国民にキッチリと情報を与える役割を果たしていない。試しにテレビの報道番組を視聴してみると良い。一つの問題を多面的な角度の違う論評を展開して問題点を炙り出すというのではなく、一方的な意見を異口同音に並べて問題を収束させる方向でしか論じていない。
 日本版NSCを設置した際にどの程度議論されただろうか。そこでどれを秘密とし、何を国民に報じるべきかをマスメディアは政府に迫って明らかにしただろうか。なぜ福島原発放射能拡散重大事故の際にSPEEDI情報を政府は隠蔽して地域住民を被曝させたのか、という責任追及はもちろんのこと、こんごの情報公開のガイドライン作りすら提起しないで有耶無耶の内に時間が経過している。この国のマスメディアの劣化ぶりには驚くばかりだ。スノーデン氏の罪を問う米国は果たして米国民のためだと思っているのだろうか。彼らの立ち位置はナヘンにあるのか、われわれは冷静に自問自答すべきではないだろうか。その米国ですらすべての情報は25年原則で公開されることになっている。この国の最長60年間の秘匿がいかに時代錯誤かを知るべきだろう。


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