時代とともに思想の潮流は変わる。

 時代とともの思想の潮流は変わる。かつては帝国主義が欧米先進国の国是だった。強い国が弱い国を斬り従えて、弱い国を搾取することは当然に権利とされていた。
 しかし現代国際社会でそそうした考えは通用しない。互恵関係が当然のこととされ、相手国とともに繁栄しようとする国際協調が常識とされている。この現代で帝国主義のような振る舞いをしている国々が世界で嫌われるのは当たり前のことだ。

 同様に時代とともに個人の考え方も変わって当然だ。小泉純一郎氏は新自由主義の米国の御用聞きとして日本の雇用形態を破壊し、郵政改革と称して国民金融資産を米国へ売り渡そうと画策した罪は消えないが、政治家を退いてから「脱原発」発言を繰り返しているのは評価して良いだろう。
 日本だけではない。世界は「脱原発」へ向かうべきだ。この地球は今を生きる人類だけのものではない。未来永劫存続するすべての生命の住処として、現代を生きる人類は分を弁えるべきだ。自分たちさえ便利な暮らしを謳歌出来れば、その結果としてどうなろうと知ったことではないという態度は批判されるべきだ。

 原子力利用は人類のみならずすべての生命にとって脅威となっている。原子力は手を付けてはならないエネルギーだったのだ。放射能漏れさえ起こさなければ平和利用して問題ない、というのは高い崖から崖へと渡した綱の上を命綱なしに歩いて渡っても、落ちさえしなければ綱渡りを楽しんでも問題ないというのと似ている。
 原発を設置した国々は崖から崖へと張られた綱渡りを楽しんでいるのと同じだ。落ちなければ問題ないという考え方が大問題だというのは福一原発放射能漏れ事故で証明された。津波が襲ったから事故が起こった、というのは微視的な考え方で、あらゆる事故を想定しても「安全だ」と原発関係者は国民に説明していたのではなかっただろうか。

 さらに小泉氏が指摘するように、日本に放射能汚染物質の最終処分場はない。全国の原発に使用済み核燃料が原発建屋内の核燃料貯蔵プールに満杯状態になっている。それをそのまま放置して、原発発電を続けようというのは無責任というよりも日本国民や人類に対する犯罪行為ではないだろうか。
 原発を推進してきた原子力ムラの関係者たちは恥ずべきだ。その後押ししている安倍首相以下、原発賛成派の政治家たちも恥ずべきだ。原発の広告塔となった芸能人たちも恥を知るべきだ。彼らは福島の深刻な放射能汚染の現場へ行って除染作業を手伝う義務がある。彼らの原発は「安全」「安心」との宣伝により全国各地の原発を受け入れた地元民は原発の危険性に対して考えることをマヒされたのだから。

 同時に、時代とともに思想の潮流は変わるということを生活全般で捉えなければならない。高度経済成長は終焉し、成熟した社会とはいかなるものなのかという思惟を深めるべきだ。そしてそれを国民全体で共有すべきだ。
 国民はどこまでの負担に耐えられるのか。対前年比増の国家予算を組み続けているのは財務官僚をはじめとする官僚たちの頭の中では依然として高度経済成長期の思考構造がそのまま残っていることに他ならない。それがいつまでも続かないのは誰が考えても明らかなはずだ。

 すでに日本の人口は減少期に入っている。勤労人口(15歳から65歳)でみれば毎年百万人単位で減少している。日本は国家として成長の頂を超え、ダウンサイジングしなければならない時代に突入している。問題なのは官僚や政治家たちがそれを認識していないことだ。
 国民負担は限界に達している。純公的負担は現在ですら欧州各国の14%前後に対して、日本は17%に達している。これ以上の負担を来年四月から国民に課そうとしているのは狂気の沙汰だ。小泉氏は時代とともに思想の潮流は変わると主張しているが、国家の在り方も時代とともに変わることに思い到るべきだろう。さもなくばこの国は社会インフラさえも維持できなくなり、我らの子孫がいつの日にか赤錆びたレインボーブリッジが崩落するのを目撃することになりかねない。


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