言葉の軽重と「虚偽表示」

 虚偽表示がこの国の隅々にまで行き渡っているようだ。一連の有名デパートのレストランで提供される料理の食材表示が「虚偽」であったことが明らかになっているが、不二家のレストランで「ステーキ」と表示されているものが実は「成形肉」で虚偽だったことが明らかになった。
 虚偽は食材だけにとどまらない。JR北海道のレール幅は現場検査では7㎜マイナスと表示されていたものがJR北海道の内部資料では3㎜マイナスと表示され、レール幅の誤差の許容範囲5㎜プラスから3㎜マイナスの中にあって「適正」と報告されていた。

 虚偽は他にも蔓延している。東京の投資コンサルタント会社が投資を代行する資格もないのに顧客から資金を預かってFX投資を代行すると「虚偽表示」を行い約1000人から100億円以上のカネを集めていたと明らかになった。FX投資が虚偽の業務表示だったため、当然のように「虚偽」表示は「詐欺」行為となり、顧客から集めたカネは他の顧客への配当に回される自転車操業に陥っていたという。
 「虚偽」表示は金融業界だけにとどまらない。安倍首相は放射性汚染水は「完全にブロックされコントロールされている」と虚偽の発言を国際会議の場で行った。しかし未だに堰内の汚染水が何処かへ漏水しているという実態が発表された。何処からどのように漏水したかは分からないが、それでも海へは流れ込んでいないと確信的な発表も付け加えられた。

 しかし「虚偽表示」はいかに繕うとも虚偽でしかない。実態と表示が異なっていれば現実は実態によって動くためJR北海道では脱線事故を起こしてしまった。福一原発でも放射能汚染水は毎日400トンもの地下水が原子炉に流入していることは解っている。つまり一日400トンもの汚染水が新たに作られていることになる。それが「完全にコントロールされている」ことなのでないことは明らかだ。
 安倍氏は苦し紛れに「全体としてはコントロールされている」とボカシをかましたが、「全体として」もコントロールされていない実態は何も変わらない。地下水の遮蔽壁は未だなく、放射能汚染水の浄化装置は碌に稼働していない状況は全体としてもコントロールされていない何よりの証ではないだろうか。つまりこの国では安倍首相そのものも「虚偽表示」を行っている事実は何を物語るのだろうか。

 幼児教育で算数の第一歩は一対一対応を認識させることだという。「一つ」という言葉が「一つの物体」を指すことを認識させなければ、いかに数を数えられても殆ど意味のないことでしかない。「二つ」が「二つの物体」の存在と対応して認識されなければ数を数えたことにならない。つまり現実と言葉との認識がキチンと対応していなければ学問にならない、ということだ。
 言葉と現実とがきちんと対応していなければ「詐欺」という犯罪を構成するとこの国の法律で定められている。だから表示する言葉をこの国の国民は信用しているのだ。それが「虚偽」だらけだということになるとこの国の社会の信用は失墜する。儲けるためには何でもありの騙し商法を何処でも行っている、としたら正直に表示している業者が「アホラシ」く感じて虚偽表示へ走らないとも限らない。

 「虚偽」表示は他にもまだある。公僕と称している公務員が自分たちの利権擁護のためには形振り構わず全力を尽くすことも「虚偽」表示というべきだろう。民間勤労者給与に準ずる、とされている公務員給与が勤労者平均給与から大きく乖離したまま放置されているのも「虚偽」表示の最たるものではないだろうか。
 東日本被災地復興資金のはずがいつの間にか他の目的に流用されていたのも「虚偽」表示ではないだろうか。つまり高級レストランの料理人が痴呆症になったかのように食材の見分けがつかなくなったのも、公僕と称している官僚たちが官僚利権構造維持に狂奔して「原発再稼働」に血眼になっているのと何ら変わらない。原発は安全だという「虚偽」宣伝により国民は騙され、今も「原発は安価な電気発電装置」だという「虚偽」報道により多くの国民は騙され続けている。
 しかし実態は虚偽を覆す。除染作業などで5兆円を超える経費が必要だとされるや、国が持つべきだと自民党の議員が政府に働きかけた。東電は株式会社の民間企業だ、というのは「虚偽」だったのか。原理原則が通用しない社会も虚偽社会でしかない。そのことを国民は噛み締めなければならないだろう。


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