「一声かけ運動」を国民運動として展開しよう。

 老人の孤独死や都会の幼児虐待死が毎日のように報じられている。今後は都会の孤独死が激増するといわれている。高島平団地のような巨大団地ですら65歳以上り入居割合が3割を超えているという。二世帯同居が困難な団地の居宅設計から、どうしても子供が育つと別居して残るは老人世帯だけとなり、やがて連れ合いが亡くなると独居老人になる。
 幼児の虐待死は相変わらずだ。今後は離婚と再婚の増加傾向からシングルマザーが連れ子とともに再婚するケースが増加すると思われ、行政のみならず隣近所や地域の人たちが一声掛けるようにして地域が連帯を持つようにすべきだろう。

 かつて日本の地域社会は「一声」掛ける地域社会だった。道で出会うと一声掛けるか他愛もない時候の挨拶を交わしたものだ。黙って擦れ違うことは敵意を抱いている証拠と見なされたものだ。
 しかし今日では道ですれ違って大きな声で挨拶しているのはそうした運動をしている学校の小学生だけだ。大人たちは顔すら合わそうとしないのが普通となり、人によっては「目を合わせた」と因縁を付けてくる始末だ。連帯意識の欠落した地域社会は個々人の孤立化を促進する。「隣は何をするものぞ」という社会は実は他人に冷たい社会ではないだろうか。

 鬱陶しいと思わず、たとえ鬱陶しいと思われても「一声」掛ける社会にしようではないか。そして日本全国を他人を気遣う社会に育てていこうではないか。
 行政の担当者がいかに目を光らせても、老人の孤独死を完全に防ぐことは困難だ。ましてや虐待幼児を一時的に保護したとしても、親子が一緒に暮らすことを親が望み親に反省の態度が見られたら子供をいつまでも隔離することは出来ない。だから幼児の虐待死を防ぐには隣近所の人たちの一声かけ運動だと思わざるを得ない。プライバシーの侵害と背中合わせの運動かも知れないが、それでも老人の孤独死や幼児の虐待よりもマシではないだろうか。私権は少しぐらい制限されても目くじら立てない社会にしよう。


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