人類の安全と利便性に寄与しない文明の利器はあり得ない。

 人類の安全と利便性に寄与しない文明の利器は未だ不完全な代物だというしかない。そうした意味でいかに利便性や速さをひけらかそうと、自動車は反社会的な存在だった。
 日本だけで7千人を超える人が自動車の絡んだ交通事故で命を落とすとは異常なことだ。それが延々と続いているにも拘らず、利便性に目を奪われて自動車の反社会性に目を瞑ってきたに過ぎない。

 やっと全自動運転技術が日の目を見ようとしている。自動車が安全な移動手段になるためには全自動運転しかあり得ない。人には感情があり日々の体調があり年齢による肉体的な変調もある。
 それらを克服して自動車が安全な移動手段になるには全自動運転による運行しかあり得ない。人がハンドルを握るのは限定的な敷地内の車庫入れ程度にすべきだ。

 同じように福一原発事故の対応も的確な工程を決めて、あとは自動に運用されるように図るべきだ。その場合、基本的な技術的落ち度は決して許されない。
 タンクを連結するのは効率的な運用から必要だが、それならなぜ石油化学プラントの設計建設経験者を招聘しなかったのだろうか。そうすれば基本の基本、小学生でも分かるような高低差のあるタンクを連結しなかっただろう。同一レベルにあるタンクを連結するのは常識のはずだ。

 鉄道線路の幅が広がれば脱線する、というのは誰もが知っている常識だ。線路脇に立っている電柱が線路側に傾けば列車に接触するのも常識だ。天井版を吊り下げているボルトが抜ければ天井版が落下するのも常識だ。海砂を十分に真水で洗浄せずコンクリートに使用すれば耐用年数に満たずしてコンクリートが劣化して剥落し、やがて崩落するのも常識だ。
 そうした基本的な点検すら怠っている巨大社会インフラが身の回りに山ほどあって、この国の日々の暮らしを支えている、という現実を忘れてはならない。

 昨日の所信表明演説で安倍氏は自ら実態不明な「アベノミクス」という文言を多用して成果を誇っていたが、彼は何か大きな勘違いしているようだ。この国の基本となる部分が大きく劣化している現実に目を向けないで、どのような未来を国民の前に見せようとしているのだろうか。
 成長戦略として産業強化法案の成立を急ぐようだが、それは高度経済成長期に数次にわたって実施された「全国総合開発計画」の縮小版というしかない。当時は産業基盤整備として港湾や道路などの整備と特別償却制度による法人の技術開発促進を主眼に税制優遇などをして経済成長を助成した。

 しかし現在は当時と全く様相を異にしている。かつて「全国総合開発計画」により開発され全国の特別工業地域に工場が建ち並んでいたが、現在はそうした工業特区ですらスカスカの状態に陥っているのを御存知ないのだろうか。
 企業城下町と称された多くの街が人口減と商店街の衰退に悩まされている現実を安倍氏は知らないのだろうか。彼は選挙と墓参でしか帰郷しないからだろうが、下関や宇部や周南や岩国などの企業群の雇用吸収力がどうなっているのかすら御存知ないのだろう。

 それらの元凶は工場や企業の海外移転を煽った国やマスメディアの責任もさることながら、安易に「焼畑式経営」に企業業績の回復を求めた愚かな経営者にも責任があるだろう。海外にプラントや製造工場を移せば国内の雇用が喪失するのは当然の理だ。それすら理解しないで成長戦略とは噴飯ものだ。
 そうした意味で企業経営者も基本を失念しているようだ。「企業は資本と土地と働く人の三要素で成り立つ」というのは日本国民なら中学の社会科で学習したはずだ。安い労働力さえ確保できれば儲かる、という発想で「俺は大企業の経営者だ」と悦に入らないことだ。それは中学の社会科すら満足に理解していない、愚か者だと自己宣伝していることに他ならない。

 まず基本に立ち返ろう。そして各自の持ち場の基本を再確認しよう。政治家なら政治が希求するのは「国民の暮らしが第一」という古今東西の普遍的な真理を忘れてはならないだろう。自動車ならいかに安全に利用者を移動させるか、ということが基本でなければならないように。少し大きい文字


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