国の借金1000兆円超えの中身を報せるべきだ。
以前、国の借金にはある程度の歯止めがあった。それがなくなったのは「建設国債」は借金ではない、という理屈を唱え出してからだ。
つまり住宅ローンと同じように、建設国債は公共事業を実施するための借金で、国債発行の対価として道路や橋や構築物が残り、次世代の国民の役に立つから「善い」のだという屁理屈だった。
屁理屈と書いたのはまさしく屁理屈だからだ。建設国債ほど酷い国債はない。なぜなら道路や橋や構造物は建設された時点から劣化が始まる。そしていつの日にか更新しなければならない時を迎える。
建設国債で造られた次世代も使う資産は住宅ローンで造られた家と同じだ。次世代が使う頃には劣化して廃屋寸前になっている。ただローンだけが次世代に負わされるだけになってしまう。
財務官僚は一緒くたに「国債残高1000兆円」などと表現しないで、その内訳を国民に報せるべきだ。建設国債残が幾らで、財政投融資で財務官僚が投資した内焦げ付いたものが幾らで、一般財政の赤字補填が幾らだったのか、等々を国民は知る権利を有する。
そうでなければ今後闇雲に国民は増税負担に耐えなければならないのか、それとも赤字国債部分の公的施設の新規建設を我慢すれば良いのか、財務官僚たちの失敗のツケを幾ら支払わされるのかなどを国民は知らなければならない。
たとえば高速道路の建設国債は今後とも意味のない民営を続行するのなら、国債から切り離して民営企業の長期負債の勘定に計上すべきだ。利益は高速道路会社のものに、借金は別枠で国民が支払い続ける、というのではマトモな民間企業とはいえないだろう。
そうした誤魔化しの塊のような国債残高1000兆円を積み上げて「おいお前ら国民よ、税をもっと負担しないと国が破綻するぜ」と財務官僚が闇雲に国民を脅し、その広報誌になり下がっているマスメディアが野放図な国債発行を許した屁理屈を国民に広報した責任も感じないで、増税の旗振りをしているのはまさしく官僚の広報したる面目躍如だ。国民は賢く1000兆円の中身を知るべきだし、大盤振る舞いしてきた財務省に今後とも財布を預けていても良いのか、真剣に考えるべきだ。