なぜ選挙で「社会保障改革」を自公は語らないのか。

 「税と社会保障改革」という謳い文句で「消費増税」を野田政権は民・自・公による「野合三党合意」で決めた。それにより民主党はボロボロになって下野し、自公が政権に就いた。


 だから現在の安倍政権の最優先課題はいうまでもなく「社会保障改革」だ。しかし安倍氏の口から社会保障改革が語られることはない。現在、8月末を目指して「社会保障改革国民会議」なるものが議論しているからだとして、安倍氏は「円安」「株高」がアベノミクスによる成果だと勝手に解釈して、御満悦だ。


 


 だが、各政党はそれなりに「社会保障改革」にたいして案を提示している。その中で特異なのは維新の会が現在の「賦課方式」から「積み立て方式」へ変更するとしていることだ。


 そもそも年金は「積み立て方式」で出発した。それを1985年に「賦課方式」に変更したのだ。当時狂乱物価などを経て積立方式の年金を将来の支給額とした場合、大きく目減りしていた。年に5ないし7%ものインフレ時代で積み立て方式を採用していては、支給する時点で積立金は価値をなくしていると考えられた。


 


 現在はデフレ経済から脱却しようともがいているように経済環境が異なるから、当時の方式変更を批判することは出来ない。しかし一旦積み立て方式から賦課方式に変更したものを再び元へ戻すという論は現実的でない。


 年金方式がどうであれ、問題なのは現役世代が老人世帯を支える、という話ではなく、年金は「負担できる者が負担し、高齢化により暮らせなくなった者を支える」という本来の年金制度に戻すことだ。


 


 世代間戦争に仕立てた方が官僚たちに批判の目が向かないから、強いて官僚の広報機関たるマスメディアは年金を世代間戦争にして「支給開始時期を遅らせろ」「掛け金を掛けてない無年金者には年金ナシで良い」などという煽情的な議論に引き込もうとしている。


 しかし年金は老齢により働けなくなった人たちの暮らしを支える社会セイフティネットの最たるものだという認識を持つべきではないだろうか。年金掛け金を支払った者が受給する権利を持つ、というのでは民間保険会社の「年金型保険」と何ら変わりない。それなら国が運営しないで民間の保険会社に任せた方が効率的だろう。


 


 社会保障の大原則は「負担は応能で、支給は一律」だ。それを揺るがして年金に格差を設け、老後に支給する年金金額が大きく異なるのは「社会保障」としての年金のあり方として問題ではないだろうか。


 現在の年金制度の問題は現役世代の正規労働者の著しい減少に根本的な原因があり、突出した共済年金の支給額に大問題がある。そうした現代社会のあり方を論じることなく、年金支給額だけを議論するのは枝葉末節の議論ではないだろうか。


 


 しかし国民年金加入者が6700万人もいる現状を国民はもっと怒るべきだ。国民年金は満額ですら暮らせない年金だ。生活保護費以下の年金しか手に出来ない「社会保障制度」とは一体何だろうか。それに反して共済年金は平均支給額で月額22万円もある。この格差を目の前にして、公務員は中国における特権階級の共産党員と同じではないかと思えてならない。国民に奉仕するはずが、公務員は公務員に奉仕する特権階級に変貌してしまっている。それを是正できない政治家たちも公務員のシモベのようだ。まずは公務員のシモベたる政治家を政界から追放することから国民は始めなければならない。



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