責任の所在とその取り方。
ストーカーの被告が彼女の祖母と母親を殺害し、両者の財布から金銭を奪って逃走した事件の判決が出た。当然のことながら判決は死刑だったが、被告は直ちに控訴したという。
この事件で身の危険を感じた被害者の親族が警察に届けたところ、慰安旅行に出かける直前のこともあって放置していたという不手際も判明している。警察が慰安旅行を一部署員に対しては取りやめてでも対応していれば殺人事件は未然に防げたかもしれない。
プロ野球で使用球がいつの間にか「飛ぶ玉」に替えられていた件でコミッショナーの責任が問われている。当のコミッショナーは「知らなかった」と繰り返し、事務局から報告がなかったと弁解している。
おそらくそれが事実なのだろう。事務局が「面白い野球」の誘惑に駆られて「飛ぶ玉」をミズノに製造要請したのだろう。しかし、そのことがプロ野球の観客だけでなく、野球で生活している選手たちの「生存権」をも脅かしかねない重大事だという自覚がなかったとしたらお粗末そのものだ。たとえば「打たして取る」軟投タイプの投手にとって飛ぶ玉は営業妨害だ。フライに討ち取ったはずが打球が伸びてホームランになっては万事休すとなってしまう。
コミッショナーの仕事とは一体何なのだろうか。名誉職かもしれないが、それならなぜ「認定球」に自らのサインをプリントしているのだろうか。責任があると自覚していれば認定球の反発力テストを抜き打ち的に実施して、使用球の製造に変更がないか確認していなければならないはずだ。
警察も慰安旅行に出掛けてストーカーとDV被害を受けている、という市民からの相談を放置していた責任は重大だ。犯人が死刑判決を受けるのは当然だとしても、警察が真摯に仕事に専念していれば事件そのものが未然に防げたかもしれない。
警察の担当者や幹部たちはこの事件に関していかなる処分を受けたのだろうか。マスメディアの報道には一切出て来ないが、彼らが一切処分を受けていないとしたら、警察は出来るだけ市民からの相談に関わらない方が良策ということになりかねない。
プロ野球コミッショナーはサインを試合球にプリントしている重みをどのように理解しているのだろうか。一度でもミズノの試合球製造現場を訪れて、担当者から話を聞いたことがあっただろうか。そうした不断の努力をしていただろうか。そうでなかったというのなら潔く反省の弁を述べて職を退くべきだ。あなたの代わりは幾らでもいる。