「生活擲ってまで」立候補する者がいなかった、-候補擁立断念とは情けない。
民主党山口が参議院選で独自候補擁立を断念した。山口県本部の幹部の弁は「生活擲ってまで立候補する人がいなかった」というものだが、それでは彼ら山口県本部の幹部たち山口県議会の古手はどうなのか。
彼らは労組の支援を得て県議会議員を何期も勤めているではないか。彼らこそ「生活を擲って」立候補する者はいなかったのだろうか。
各種選挙が若者ニートの就職先、と言われはじめて既に久しい。近頃ではグラビアアイドルで芽の出なかったロートルの就職先とも揶揄されているようだ。
マスメディアも美形の市議会議員だ、アイドル並みの国会議員だ、と写真週刊誌並みの感覚で議員を追いかけ回す。それに悪乗りして女性議員が写真集を出したりしている。何か勘違いしていないだろうか。
それでは民主党山口県連は常日頃、県民に対して民主党を浸透させるべく各種講演会やイベントを開いて来ただろうか。民主党の変節に対して、しっかりと山口県の有権者に対して説明をして来ただろうか。
いきなり地方放送局のキャスターや地方大学のロートル教授に「出ませんか」と祭りの山車にでも乗らないかというような勧誘をして回ったのではないだろうか。山口県出身の二流俳優を口説いたりしていては、山口県の堅牢な保守の壁は決して崩れないだろう。
県議会議員は楽だといわれている。市町村議員と比べて有権者からはやや距離があり、それほど地元有権者にサービスをしないで良いし、その割には月給83万円という歳費は魅力だし、月額35万円の政務調査費も含めればなかなかの高額所得者だ。
出身労働組合の機嫌さえ取っていれば次の選挙でも指定席で当選できるのなら、これほど旨味のある「仕事」はない。参議院選の候補者擁立断念とは山口県連幹部たちは自分たちの無能無策を恥じなければならない。単に民主党の県議会議員として何事もせず、安穏と日々を過ごしてきた証拠だといえば余りに酷過ぎるだろうか。