都議の年収総額が2400万円とは。
民主主義のコストとはいえ、余りに高額ではないだろうか。しかし都議の大半は「足らない」とこぼすという。なぜなのだろうか。
冠婚葬祭費がバカにならないのと、各種会合の出席がかさむそうだ。たとえば新年会などで100ヶ所以上も回り、200万円も必要だという。それなら会合とは有権者によるテイの良いタカリではないだろうか。
本当に有権者が集まった席に都議を招いて親交を深め、地域の問題を都議に聞いてもらいたいのなら「新年会」などの会費を都議から徴収すべきではないだろう。多忙を極める都議なら席の温まる暇もないほどに次の会合へと回るはずだから、会費を徴収する必要はないはずだ。
そうしたコストが都から議員へ支払われているとしたら議員報酬のあり方を考え直すべきではないだろうか。また、都議の仕事に「秘書」が必要とは思えない。そして都議が仕事のために事務所を自宅以外に設ける必要があるのだろうか。
概して日本の議員報酬は過大に過ぎる。米国の議員報酬と比較すれば歴然とする。欧米の議員は原則「社会奉仕」だから、日本の議員報酬額を聞くと驚きの声をあげる。
何期も何期も重ねる議員がいるが、彼らが清廉潔白な奉仕精神を喪失している人たちとは云わないが、議員報酬が無料奉仕に若干の費用弁償が出る程度であっても、彼らは必死になって選挙に目の色を変えるだろうか。そして本気で政治に取り組み、何期も続けて立候補するだろうか。
政策立案力や決算書・予算書の読解力などの能力と、選挙で票を集める能力とは別物のようだ。だから当選請負人などが暗躍して、当選戦略のためなら心にもない「公約」を選挙民に向かって叫ぶ。
安倍自民党も去年12月の総選挙では恰も「脱原発」で「TPP参加」は慎重を期し条件付きだと、嘘八百を並べていた。議員報酬などを大幅に削減し、企業献金も全面禁止とし、政党助成金も撤廃するなどして、政治家の旨味や利権を殺ぐことが政界浄化の一方法ではないだろうか。お金大好き人間が政治家を目指さなくなるだけでも、有権者にとって大きな前進ではないだろうか。