憲法を不磨の大典にしてはならない。それぞれの時代に息づくモノにしなければ単なる飾りだ。

  憲法第96条の改憲規定の緩和は行われるべきだ。現に日本の接続水域に国籍不明の潜水艦が潜航しているのも「専守防衛」憲法があるからだ。潜水艦は日本の自衛隊が攻撃して来ないのを承知の上で、自衛隊のソナー技術のレベルを試している。


 世界は未だに戦国時代のさなかにある。少しでも怯めば付け込まれて領土を失いかねない。弱いと見透かされるとチベットやウィグル地区などのように侵略されてしまう。そして相手よりも勝る兵器を手にすべく国民の食糧よりも核開発に予算を乱費する独裁者がいたりする。


 


 よくよく世界の現状を認識すれば「戦争放棄規定のある日本国憲法は平和憲法だ」などと能天気なことは言えないはずだ。むしろ軍備なき国家は戦争を呼び込みかねない。


 国家の一義的使命は国民の財産と生命の保全だ。そのために国家は国民に対する徴税権を手にしている。つまり武士社会の基本をなした「御恩と奉公」は現代社会でも基本を構成している。


 


 現代社会には現代社会に合致した憲法が必要だ。世界にならず者国家が存立し、隙あらば領土を掠め取ろうと軍備を増強しているような国が近隣に存在する限り、日本も負けないように軍備を整え国民の協力を仰げるような体制にしておかなければならない。


 攻撃力の備えと使用を抑止している現憲法は国民を危険に曝している。現憲法がある限り、日本は永遠に米軍の攻撃力を頼り、米国の風下に置かれる国家であり続けるだろう。それはつまり米国の世界戦略の一部に組み込まれ続けるということでもある。


 


 日本はキリスト教国ではない。イスラム教に何ら敵愾心を抱いていない。それでも米国基準の対イスラム教国戦略の一部に組み込まれ、米国の独善的な「テロとの戦い」の一翼を担わされ続けられる、ということを甘んじて受け入れなければならないという立場にある。


 本当に日本国民は米国の対イスラム戦略を甘んじて受け入れているのだろうか。そしてどこまで受け入れ続けるのだろうか。


 


 むしろ日本はアジアの仏教国として、キリストとイスラムの争いを超越した立場から世界平和に寄与すべきではないだろうか。第二次世界大戦戦勝国(中国やロシアは戦勝国詐称だが)のラブとして発足した国連が世界諸国をまとめる機構として正しく機能しているといえるのだろうか。


 常任理事国の利害調整機関としても既に限界を露呈しているし、国連が世界平和に寄与しているとは到底思えない。世界の兵器市場で常任理事国の兵器供給割合がどれほどのものか、ネットで調べてみれば一目瞭然だ。彼らは決して世界平和を希求しているわけではない。


 


 日本が現世界に対応すべき憲法を持つことが極東の安定に寄与することになる。米軍頼りの軍備を脱し、日米同盟がより対等なパートナーとなって、米国に対しても現在以上に日本の立場が有効に働きだすだろう。たとえばアジアの安定に対して日本は同じアジア人として米軍のやり方とは異なる手法を採ることが出来るだろう。


 いつまでもイジケた亀のように首を甲羅の中に引っ込めて、小さな穴から外界を覗くような真似は止めよう。かつて日本は世界の強国として世界の平和に責任を負っていた。それに嫉妬した欧米列強のイジメにより心ならずも戦争を起こして自滅したが、それは既に歴史の中での出来事だ。もはや大国同士が四つに組んで戦争が出来るほど地球は大きくない。


 


 戦勝国クラブが運営する国連中心主義が破綻を見せいてる現在、日本が発言力を確保することは世界平和にとっても必要だ。そのためには米国の三下扱いに貶めたままではならない。米国の傘が鬱陶しいモノになってやりきれなくなっている。改憲否定論者は米軍が日本全国に駐留していても極東の安定が必ずしも図られていない現状を認識すべきだ。体に合わない服を着るのは喜劇役者の常套だが、国家までもそうであってはならない。



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