週刊朝日もだが橋下氏も「誰が会うかバーか」は頂けない。

  一部週刊誌の程度の酷さには辟易しているが、橋下氏の出自を論って連載するとはプライバシー侵害もいいところで、週刊朝日が全面謝罪して連載を中止したのは当然の措置だった。それに対して橋下氏は矛を収めて事態は収束されたものと思っていたが再び火を噴いたようだ。


 その発端は「橋下氏が焦っている」との取材記事を掲載したことにあるようだ。報道機関としては当然の取材であり、政治家たる公人はその程度の揣摩憶測記事に目くじらを立てるべきではない。


 


 確かに人権侵害と公職批判とを分けて論評するのはなかなか困難だ。たとえば安倍氏に関して国会審議の間に何度もトイレに立って質問者が安倍氏の着席まで待つというのは安倍氏の健康問題と絡めて書きたくなる誘惑にかられるだろう。


 しかし安倍氏が難病指定の潰瘍性大腸炎を患っておられるのは周知の事実だ。全国にも多くの患者が厄介な難病に立ち向かって社会復帰を果たし、一般社会人と変わりなく社会人として過ごそうと努力されている。そうした背景を無視して「ゲリゾー」と揶揄するのは品格を疑うし、病気と闘っている多くの人たちを傷つけることになる。断じてやってはならないことだ。


 


 橋下氏の件に関しても橋下氏の出自と橋下氏の政治姿勢と何ら関わりないことだ。橋下氏の出自を論って橋下氏を批判するのは週刊朝日の「報道機関としての在り方」を疑わざるを得ない。しかし「賞味期限切れで焦る橋下市長」という記事でキレて橋下氏がこれまでの鬱憤も含めて「提訴」というのは公人としていかがな対応だろうか。


 週刊朝日は一連の出自問題では橋下氏に謝罪して連載を打ち切り、編集者を更迭し朝日出版の神徳社長が引責辞任した。それを以て人権侵害をした報道機関として責任を取ったといえよう。橋下氏も一連の措置により矛を収めた。


 


 しかし今回の「賞味期限切れで焦る橋下市長」という記事にキレて「出自問題」も含めて提訴したというのはいかがなものだろうか。確かに報道機関として日本のマスメディアは憲法に定めた人権尊重規定が分かっていないのではないかという疑念を抱かざるを得ないところがある。小沢氏の「陸山会事件」報道のあり方はまさしく「大本営発表」を垂れ流す戦前・戦中のあしき報道機関を髣髴させるものでしかない。テレビの全局まで総動員した小沢氏の人格破壊報道の3年有余にわたるプロパガンダの嵐はこの国のマスメディアの紙価を貶めた。


 橋下氏が怒り心頭に達した人権侵害報道はタチの悪いもので許されるべきではないが、それでも捏造検察の尻馬に乗って小沢氏を刑事被告人にまで貶めた「陸山会事件」報道の人格破壊よりは事実に基づくものだけにまだマシなものだったといえる。もちろん事実なら何を書いても許されるものではないのは論を俟たないが。


 


 だが「賞味期限切れで焦る橋下市長」という記事は報道機関として至極真っ当なものではないだろうか。橋下氏が「いや僕は賞味期限などという食料品ではない」という反論をするなら、それはそれで良いだろう。しかし出自問題という一旦は片付いた問題までも持ち出して、まとめて提訴するというのは頂けない。


 報道機関には「報道の自由」がある。権力にとって不都合なことでも国民の知る権利と照らし合わせて報道する価値があると判断すれば何者によっても検閲されない。それこそが第三の権力と称される報道機関の存在意義だ。


 


 橋下氏は出自問題で謝罪した週刊朝日を「許したわけではない」として、今回の記事に怒りを爆発させているが、筋違いではないかと指摘せざるを得ない。人権侵害があったから、報道の自由を奪っても良いというのでは橋下氏の弁護士としてのバランス感覚を疑わざるを得ない。


 週刊朝日は橋下氏の提訴に驚いて面会を求めたが、橋下氏は多忙を理由に拒絶してツイッターで「誰が会うかバーカ」と呟いている。幼稚性丸出しの対応に橋下氏の人格を疑わざるを得ない。味噌も糞も一緒にしては週刊朝日を批判する資格はないと批判されても仕方ないだろう。



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