政教分離の再考を。

  憲法に定める「政教分離」は政治が宗教に関与してはならない、というものだが、その反対の宗教が政治に関与してもならない、という基本原則を再考すべきではないだろうか。


 そもそも宗教とは現世利益を謳うものではなく、精神の平穏とその拠り所となるべき形而上学的な世界であるはずだ。それが現世利益を謳い文句にして信者を勧誘するのは詐欺的行為でしかないだろう。


 


 民間療法かと見紛うような「手を翳せば病が癒える」だとか「信じれば難病が治癒する」だとかいうのは根拠なき詐欺的行為だ。しかし信仰は一途な「帰依」を求めるもので、一途な「帰依」は全面的な依存を強制する。そして宗教の一番怖いところは信者に絶対的な思考停止を求めることだ。


 キリスト教にあってはキリストの復活を疑ってはならないし、仏教にあっては輪廻転生を疑ってはならない。それがいかに非科学的なもので盲信に過ぎなくても、思考停止状態に自らを陥れることによって心の平安が得られるのならそれもまたヨシとするのが宗教だ。


 そうした思考停止が政治へと向かえば信者は宗教幹部の命じるがままに投票をすることになる。本来は政治的な否諾を表明すべき投票行動が信仰の「帰依」を証明する場になってはならないのはいうまでもない。


 


 実質的に特定の宗教が一党を支配している関係は民主主義に反する。宗教施設とされている施設内で宗教幹部が信者に対して投票を命じるのは憲法に定める「政教分離」に明白に違反していないだろうか。


 この国では公的施設の建設に際して行う地鎮祭に公費を支出したのが「政教分離」に反するなどというバカげた議論が罷り通っている一方で、本来問題とすべき宗教の政治への関与を大目に見ているのはなぜだろうか。


 


 念仏を唱えれば極楽浄土へ行ける、というのは宗教だ。現世利益を保証するものではない。それを信者獲得のために保証するものだと強弁し、その上で「帰依」の度合いを示すために金品奉納の「御布施」を求めれば詐欺的行為による金品略奪に相当するのではないだろうか。


 まやかしに過ぎない新興宗教の乱立を「思想信条の自由」で認め、信仰の対象に対する課税はしない、という税法規定から宗教行為の多くが非課税とされているのは問題ではないだろうか。新興宗教のある団体が国会議員選挙で多くの候補者を擁立しているが、潤沢な資金力には驚くばかりだ。


 


 現行の新興宗教に対する税制が続くようなら、ヨガ教室やダンス教室やカラオケ教室なども何らかの「教義」をこじつけて宗教登録することだ。そうすれば税を逃れ、小さな地方選挙程度なら「信者」を動員して当選できるだろうし、当選後も大した政治活動をしなくても公職の俸給を手にすることが出来るだろう。


 民主主義とは個々人が確立した価値観を持ち、何者からも支配的な影響を受けない投票行動を保証するものでなければならない。政教分離のあり方を違った一面からも再考すべき時期に来ているのではないだろうか。



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